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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.2003 もうすぐ生誕100年ドナルド・オコナー(その5)〜『雨に唄えば』
 ドナルドさんを大スターに押し上げたMGMミュージカルの名作『雨に唄えば』を最初に観たのが1974年でしたが当時のテレビ放映はストーリーを優先するため大切なミュージカル・ナンバーの多くがカットされてました。『雨に唄えば』のドナルドさんのナンバーは、ソロ・ナンバーの“メイク・エム・ラーフ”、ジーン・ケリーとのデュエットで“フィット・アズ・ア・フィドル”と“モーゼス”、ジーン・ケリーとデビー・レイノルズとトリオで歌い踊る“グッド・モーニング”の全部で4曲。この4曲をまともに観るまで10年かかりました。特にジーン・ケリーとアクロバティックなスタイルでタップを踏みまくる“モーゼス”を観たのはMGMが創立60周年の1984年に製作されたアンソロジー映画『ザッツ・ダンシング』が最初でした。その後、ビデオからDVDを経て現在はYouTubeで簡単に、しかも無料で観ることが出来るのでホント幸せを感じます。

 4回に渡り私がドナルド・オコナーさんのミュージカル映画を観てきた事をダラダラ書いてきましたがドナルドさんは1952年に27歳で『雨に唄えば』に出演する以前から映画スターでした。1930年代に子役として10作品以上、1942年からはユニヴァーサル映画の専属スターとして30作品以上も主演してきたはずですが、低予算ミュージカルが多く日本では1本も上映されませんでした。2010年頃までに正規ルートで販売されたのは早くから版権の切れたユニヴァーサルのB級ミュージカル映画『プライベート・バッカルー』(1942)と同じくユニヴァーサルのオールスターキャストの大作ミュージカル映画『フォロー・ザ・ボーイズ』(1944)の2作品だけでした。
 ビデオからDVDの時代になりYouTubeが普及していた2011年のある日、アメリカの映画コレクターからドナルドさんの1940年代のユニヴァーサルのミュージカル映画DVDを入手出来ることが分かり、もちろん全部購入しました。第2次世界大戦中の1942年から1945年までの14作品とドナルドさんの兵役後の1947年から1950年代なかばまでの15作品です。1940年代前半のハンサムなドナルドさんの事はコラムVol.293に、作品に関してはコンビを組んでいたペギー・ライアンのコラム(Vol.184218431849185018511855)をご覧になって下さいね。

 さて後半はドナルドさんの兵役後の1947年から1957年の『バスター・キートン物語』までを取り上げたいと思います。

天野 俊哉



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