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Vol.293 ドナルド・オコンナー MGMミュージカル出演以前のB級ミュージカル
 MGMミュージカルの最高傑作「雨に唄えば」で、ジーン・ケリーと共演したドナルド・オコンナー(以下DO)。一度でもDOの踊りを観た人なら、誰でもこう思うでしょう、「彼はお笑いの人で、そして器用に踊れる人」だと。DOには17歳から20歳までユニヴァーサル映画でミュージカルに主演していた時代があって、最近それらを観る機会がありました。
 1942年、17歳でU社にデビューしたDOは、あのイメージとはかなりかけ離れたジャニーズの少年のようなハンサム・ボーイでした。同世代の男の子たちに混ざっても、十分かっこ良く目立ちます。当時、共演したU社の若手女優たち、グロリア・ジーン、ペギ−・ライアン、アン・ブライスは「プライベートでも彼に夢中でした」と、後年語っています。
 たぶん本人も、このままいければと思っていたのでしょうが、そこには大きな問題が。第2次大戦中だったため、DOは20歳で徴兵されることが決まっていたのです。U社は、軍隊にとられる前に「1本でも多くの映画を撮ってしまおう」と考え、3年間に実に14本もの映画にDOを出演させました。DOは、限られたスケジュールでダンスの振付を受け、撮影に臨まなくてはならなくなりました。多くの作品でパートナーをつとめたP.ライアンによると、「彼が踊りを覚える前にカメラは回っていた」そうです。

<ドナルド・オコンナー 1942年公開作品>
 「What's Cookin」 2月24日公開
 「Private Buckaroo」 5月29日公開
 「Give Out Sisters」 7月27日公開
 「Get Hep to Love」 8月25日公開
 「It Comes Up Love」 9月21日公開
 「When Jonny Comes Marching Home」 11月24日公開

 それにしても、ハードなスケジュールですね。最初の3本のミュージカルには、気の毒に「踊れていない」DOの姿がフィルムに残っています。そして、4本目ではついにダンス・ナンバーからはずされてしまいました。彼のパートナーだったP.ライアンも、少年少女タップ・チームJivin, Jacks & Jillsもすごいダンサーだったので、そこに混ざって踊らされる辛さは相当なものだったことでしょう。それに加え、当時U社のミュージカル映画で振付を担当していたのが、ラスティ・フランク女史が敬愛してやまないルイ・ダプロンというマニアックなタップの振付をする人だったのも、DOにとってはオーバー・ワークだったに違いありません。
 何本目からか会社も振付師も、タップのステップの代わりにジルバや(たぶん間違えてもばれないように)パートナーとケンカをしたり、こづいたり、ずっこけたりなど、ギャグ満載の振付になってしまいました。時間節約のためDOから「普通の」ダンス・スタイルが消えてしまったのです。逆にこのスタイルがDOのスタイルとして定着して、アメリカのショー・ビジネスでの地位が確立されたのは皮肉な話です。
 1980年代に出版された「ハリウッドのピーターパンたち」という本でDO自身が「僕は踊りが覚えられなかった」などと言っているのを、私は長年ジョークと思っていましたが、どうやら真実だったようです。もちろん「超人的なレベルにおいて」での話でしょうけれど。

天野 俊哉




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