|
|
| | |
|
|
|
|
| | |
|
Vol.1842 もうすぐ生誕100年ペギー・ライアンB1942年のペギーその1
|
|
『雨に唄えば』で有名なドナルド・オコンナーと同じ時期にユニヴァーサル映画と契約した18歳のタップダンサー、ペギー・ライアン。今でこそ泣く子も黙るユニヴァーサル・スタジオですが、1942年頃はホラー映画、アボット&コステロのコメディ映画、ディアナ・タービンのオペレッタ・ミュージカルだけが売り物の小さな映画スタジオでした。ペギーはドナルドと共に10代の若手ダンス・チームのジャイヴン・ジャックス&ジルズ(以下JJAJ)の一員としてミュージカルで売り出されました。これらは、上映時間60分強、白黒作品、スタッフもキャストも全てBランク、そして製作期間も1週間前後だった?ユニヴァーサルのAランク映画の添え物として映画館で上映されていました。とは言え、歌手もダンサーも楽団も芸人もそのレベルは一流でしたので、B級とはあくまで記録する映画製作の予算の部分に限られるのかも知れません。
『ホワッツ・クッキン?』(1942/2/24公開)
監督/エディ・クライン
振付/ジョン・マティスン
歌手/アンドリュース・シスターズ
歌手グロリア・ジーン
楽団/ウディ・ハーマン
タップ・ダンサー/グレース・マクドナルドそしてJJAJ
ウディ・ハーマン楽団、アンドリュース・シスターズのスイングとグロリア・ジーンのオペレッタのコラボが成功した珍しい作品。若手グループのリーダー格がグレース・マクドナルドというタップダンサーで、オープニングとラストに短いソロが用意されていますが声が低すぎて雰囲気が合わない?ドナルドはドラマの部分だとスターで台詞も多いのですが、ダンスナンバーとなるとポジションは後列の端っこで大人しく踊っています。ペギーはJJAJのメンバーとしてソロパートはありますが、お色気を封印して3枚目のスタイルを担当させられる事になりました。ジョン・マティスンの振付はフォーメーションが華やかですが、タップの振付はダンサー本人かも知れません。第2次世界大戦が始まって間もない時期の製作なので反日感情が強く、ラストは《メイド・イン・ジャパン》と書かれたお皿を叩きつけて、それを大勢が踏みつけてゆく足のアップでエンド・マークになります。
『プライベート・バッカルー』(1942/5/29公開)
監督/エディ・クライン
振付/ジョン・マティスン
歌手/アンドリュース・シスターズ
歌手/ディック・フォーラン
歌手/ヘレン・フォレスト
楽団/ハリー・ジェームス
タップダンサー/JJAJ
これにコメディアンのジョー・E・ルイスとシェップ・フィールズが絡みます。
セットはナイト・クラブと陸軍の兵舎と野外が全てです。映画のオープニングから全盛期のハリー・ジェームス楽団が出まくり、さらに軍服を着てハイなアンドリュース・シスターズとコラボします。
ドナルドとペギーはケンカばかりしているカップルを演じて大いに活躍しております。ハリー・ジェームス楽団の“ジェームス・セッション”のスイング曲に乗ってJJAJがタップ&ジルバを踊ります。メンバーはドナルドとペギーを含めた10名の男女で、それぞれが凄いテクニックを見せるのですが、ほとんどのステップや振付やバックの動きまでが先の『ホワッツ・クッキン?』と同じでした。器用なイメージのドナルドですが実は「人の振付が覚えられない!」そうで、ステップを間違えてる姿が記録されています。目立たないように端っこのポジションでしたが。ペギー曰く「ドナルドが振りを覚えた頃には撮影が終わってました!」
さて、私は20代の時にこのハリー・ジェームス楽団が演奏したサウンド・トラック盤レコードを買いました。佐々木隆子先生に「スタジオにいる男性をズラッと並べて“ジェームス・セッション”を踊りませんか?」とリクエスト。大いに乗ってきて下さった隆子先生。佐藤昇先生、押田勝年君、阿部久志さん、私など8名が集まり沢山稽古しました!真夏の日本橋三越の屋上ステージで本番をむかえたのですが、あちこちで転んだり、ステップが暴走してしまったりで踊り終える頃には隆子先生の美しいお顔から笑みが消えた!袖に引っ込んだ途端男性全員がサーッとずらかってしまったので、たまたま隆子先生の側にいた橋爪麻美さんら女性グループが私達の代わりに叱られたそうです。後で彼女からそう愚痴られました。『プライベート・バッカルー』の“ジェームス・セッション”を観る度に「隆子先生ゴメンナサイ」とお詫びする事をわたしは忘れていません。
天野 俊哉
|
|
|
|
|
|
| | |
|
|
|