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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.759 おもいでのフランス映画社
 映画館情報がわかりずらい時代になり映画界もどんどん変わってゆくのだろうなと思っていた矢先、1970年代にバスター・キートンの映画を配給していたフランス映画社が倒産した事を知りました。
 今日フランス映画社が、日本の映画配給会社の中でその地位が認められているのは、残念ながらバスター・キートン映画連続上映ではなく、それ以降のバウ・シリーズであり1990年代までのミニシアター・ブームを支えた作品群です。
 先のニュートーキョーコラムで取り上げたニュー東宝シネマ2で観たキートン映画にハマった12歳の私は、すぐに「キートンの本を探しているのですが」という手紙を配給元のフランス映画社に出しました。すぐに英語で本のタイトルがタイプされた手紙が送られて来ました。最後にカタカナでカワキタとありました。フランス映画社の副社長であった川喜多和子さんから直筆の手紙を頂いた訳です。
 この年の秋、PRの為にバスター・キートン夫人が来日し記者会見を行いました。川喜多さんはわざわざ私に招待状(写真@)を送って下さったのですが、確か郵便局のストライキ(信じられないでしょうがホントの事)のせいで記者会見が終了してから届きました。とても残念でしたが、この時に初めて川喜多さんにお礼の電話をしました。
 バスター・キートンの映画はこの時点ですでに半世紀前に製作された古いものでしたから、川喜多さんはリバイバル上映するうえでタイトルを新しくしていました。例えば戦前「忍術キートン」というタイトルで公開されたものを、「キートンの探偵学入門」(写真A)として公開するなどモダンな感覚でした。
 そして次に上映予定されていた「荒武者キートン」の新しい日本公開タイトルを一般募集(写真B)する事になりました。私にも声がかかり、試写会場で初めて川喜多さんにお目にかかりました(写真C日記から)。
 その後の事はコラムVol.30と重複するので省略します(写真DEテレビ出演時のもの)。
 川喜多和子さんが李香蘭さん、黒澤明監督、伊丹十三監督等のビッグネームの方々と人脈があったなんて川喜多さんが亡くなる1993年まで知りませんでした(写真F川喜多和子さんが亡くなって、すぐにお母様が亡くなりました。週刊誌に掲載された記事です)。
 フランス映画社はその後も配給を続けて2005年頃に確か日比谷シャンテの映画館で大きな特集を行いました(写真Gチラシ)。
 私が知っているのはここまでです。
 フランス映画社の創業が1968年との事ですので、私が関わったのは初期のほんの短い間でした。
 今でも良いおもいでです。
 長い間お疲れ様でした。
写真 上から
@招待状
A探偵学入門
B広告 C日記 Dテレビ
Eテレビ F週刊誌の記事 GBOW特集チラシ

天野 俊哉




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