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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.30 隆子先生と川喜多和子さんのおもいで
私が、佐々木隆子スタジオの生徒だった1984年夏、蒲田駅で隆子先生とバッタリ会った時から、私の運命が大きく変わりました。
「天野君、今日ひま?」「はい」といった会話のあと連れてゆかれたのが両国のベニサン・スタジオでした。
宝塚を退団した汀夏子さんのリサイタル「招待夢」のケイコ場で、汀さん・笹野高史さんと男女8人のダンサー達が先生を待っていました。 「ちょっと手伝ってね」「はい」という会話のあと丸々1ヶ月このケイコに通う事となりました。
先生が汀さんにつきっきりなので、(単なる生徒でしかない)私が笹野さんとダンサー達を担当しました。 タップは“Sing Sing Sing”の1曲でしたが、皆さんタップ初挑戦の方ばかりなのでとても熱く取り組んでくれました。
プロのダンサーの方達は、幕が開くまではノーギャラであり、ケイコのハードさもあってあまり食べる事が出来ないという厳しい現実も目のあたりにしました。 振付の喜多弘先生がケイコ場での最終日に、奥様の手料理で、お腹をすかせたダンサーの方達を、労った光景を今でも良く覚えています。
このケイコを通して私自身、始めて「指導」する事を経験させていただき、この舞台の完成と共に「自分は、これを仕事にしてゆきたい」と心に決めたのでした。
写真 : 佐々木隆子先生

私の人生で、隆子先生と共にとても尊敬すべき女性が、もうひとりおりました。その方は川喜多和子さんです。 川喜多さんは、有名な東和映画という映画配給会社を戦前に作られた川喜多長政・かしこ夫妻の1人娘で、伊丹十三さんの最初の奥さんでもありました。
私が中学生の頃、東和映画はアメリカの偉大な喜劇王チャールズ・チャップリンの名作を連続上映して大ヒットさせておりました。 一方、川喜多さんはとても小さくて新しいフランス映画社という会社で、チャップリンのライバルとして知られるバスター・キートンの名作の連続上映をスタートさせがんばっておられました。 私は、ひょんな事からそのキートン映画の新しい題名をつけるアドバイザーとしてその会社に顔を出すようになりました。 「天野君これどうかな?」とか私の様な小僧にでもポンポン意見を聞いて下さるとにかくパワフルな方でした。 有名な淀川長治さんの映画宣伝番組に出演した時も、「淀川さんにとってNo.1は絶対チャップリンなのね。だけど天野君は絶対にキートンがNo.1だ位の事言って欲しいの」と録画前にささやくしまつ。
川喜多さんと私の大好きだったキートンのドライな笑いは、チャップリンほど日本の観客に受けておらず結局連続上映してゆけなくなってしまいました。
写真 : 川喜多和子さんとご両親の川喜多長政氏・かしこさん (C)川喜多記念映画文化財団

自分の信じたものに絶対のプライドを持って立ち向かってゆく姿は、若くして亡くなったお2人に共通する尊敬すべきものでした。もっともっと多く語り合いたかったと残念に思います。

天野 俊哉



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