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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1930 瀬川昌久先生追悼
 瀬川昌久先生が12月29日の午後に亡くなられた事を淺野康子さんからのメールで知りました。

 1983年、まだ日大生だった時に書店でたまたま手にしたのが『舶来音楽芸能史/ジャズで踊って』(サイマル出版会)という本。戦前の日本で活躍した中川三郎先生をはじめとするタップダンサーを初めて取り上げた書物でした。著者名を見ると瀬川昌久とありました。瀬川先生のお名前を知りました。初の写真入りY'sコラムも『舶来音楽芸能史/ジャズで踊って』(清流出版版)でした。

 1983年創刊の『月刊ミュージカル』の編集長も務められた瀬川先生は誌上で私たちの師匠である佐々木隆子先生とタップダンスを何度も何度も取り上げて下さいました。隆子先生のリサイタルには必ず足を運んでくださり、厳しくも愛情のこもった批評記事を書いて頂きました。

 隆子先生が亡くなられた直後の1992年4月に開催された牛丸謙先生主催の『ナショナル・タップ・デー』の会場である新宿のシアターアプルでばったりお目にかかった瀬川先生、「佐々木さんのような素晴らしいタップダンサーがいなくなるなんて!」と私の前で涙ぐまれました。

 瀬川先生はチャーリー・パーカーをはじめとするモダンジャズやハリー・ジェームズ楽団やトミー・ドーシー楽団、さらには日本の篠崎秀樹&スイート・ファンタジア・オーケストラ等のストリングスを加えたビッグバンド演奏が特にお好きでした。レコードやCDのライナーノートには海外の評論家の解説の和訳でなく、必ずご自身の言葉で解説を書かれていました。また、外苑前のマンダラ等のライブハウスでのスイング・ジャズのライブでお目にかかる事が多かったです。

 趣味で舞台やダンス公演を観劇する私たちとは違いいつも真剣勝負でおられた瀬川先生。東京宝塚劇場オープン以前の宝塚1000days劇場時代の頃、劇場近くで瀬川先生とばったり。「天野さん、今回の公演は疲れますね!」ゲッソリされてました。

 1999年から2005年まで日本のタップダンス・スタジオのリーダー達によって運営された『第2次ナショナル・タップ・デー』への参加資格は、毎月行われる全体ミーティングにリーダーが必ず出席する事、でした。そのミーティングにタップダンスの普及を望む瀬川先生も必ず出席されてました。

 前ネットワーク時代、『2001年のナショナル・タップ・デー』で初めて振付を担当した淺野康子さんの“コットン・クラブ”ナンバーを気に入って下さった瀬川先生、その年の秋に新宿厚生年金会館で開催された『チャリティー・コンサート』に推薦して下さり出演しました。瀬川先生のご紹介の後に踊らせていただくという名誉ある経験をいたしました。

 伝説のジャズ・プレイヤーであるチャーリー・パーカーの演奏に接したただ1人の日本人が何と瀬川先生でした。4年前に河出書房新社より発売された『瀬川昌久自選著作集1954〜2014/チャーリー・パーカーとビッグバンドと私』には普通の会社員からこのショービジネスに飛び込まれた瀬川先生の歴史を知ることが出来ます。皆さまもぜひご一読下さい。

 浜松町のメルパルクホールで開催されていた『第3次ナショナル・タップ・デー』になると面白いけれども瀬川先生には馴染みの無い選曲が増えました。そんななか、その年Y'sは淺野さんが“All of Me”を振付して参加しました。リハーサルで瀬川先生の背後から先生の反応を見ていた松本晋一さんによると「瀬川先生体乗り出してましたよ!」

 そんな『ナショナル・タップ・デー』のリハーサルでは会場に見えた瀬川先生を穴田さんが紹介、続いて瀬川先生がマイクを受け取りお言葉を。スピーチを終えた瀬川先生に向かって「先生!ナイススピーチ!」と声をかけたのが今西康之さん。このやりとり笑った!

 長い間たくさんお世話になり本当にありがとうございました。瀬川昌久先生のご冥福をお祈りいたします。

天野 俊哉



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