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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.364 祝30年「月刊ミュージカル」
 年末に本の整理をしていたら、「月刊ミュージカル」の創刊号が出てきました。当時、宝塚雪組のトップスターだった麻実れいさんが表紙を飾っています。発行が1983年1月なので、ちょうど30年前。ということで、今回は祝30年のこの本を取り上げます。
 三浦時彦氏が編集長だった「月刊ミュージカル」は、1983年の1年間は隔月刊としてスタート、1冊¥500でした。銀座にミュージカル劇場として博品館劇場がオープンした70年代後半から、準備に5年もかけたそうです。本のターゲットは、当時20代の若者だったとか。
 現在はインタビュー・コーナーが多い「月刊ミュージカル」も、創刊号では大勢のレギュラー執筆者によるしっかりとした論評、批評等が並んでいます。今回、何度もページをめくり返したのが「'82ベストテン選考」でした。ミュージカル・イヤーと呼ばれ、劇場街がとても賑わっていた1982年。その1年間に上演された作品のタイトルは私にとって、とても懐かしいものです。
 この「ベストテン選考委員」の中に千野幸一(日刊スポーツ紙)という名前があるのですが、実は数年前に亡くなった私の伯父です。選考委員だったことをすっかり忘れていたのでびっくりしました。伯父は劇団四季の演出家、浅利慶太氏と親しかったことから、「月刊ミュージカル」に浅利氏についての文章を残しているのですが、残念ながら手元にはありません。
 さて、本題に戻りますが、もうひとつ興味深かったのが、「選考委員を辞退された方々」からの言葉。映画評論家の方々の「(舞台を)あまり観ていないので」という理由は当然だと思いました。気になったのが、当時2大情報誌としてライバルだった「ぴあ」と「シティロード」の対応。「ぴあ」は「情報誌は客観的かつ中立的なものなので」という気遣いがあるのに対し、「シティロード」は、「ほとんど中途半端で楽しめる作品がなかった」とはっきり主張。「ぴあ」は30年後の今も大企業として生き残っているのに、「シティロード」はスタートして5年足らずで廃刊となってしまいました。廃刊に追い込まれた理由というのが、映画館等からの「情報提供のボイコット」を受けたためでした。敵を作り過ぎたのですね。改めて言葉の使い方、世渡りの大切さについて考えさせられました。
 話は大いに脱線してしまいましたが、現在、再び隔月刊となった「月刊ミュージカル」誌、40周年に向けて頑張ってください。これからも応援します。
 最後に私が記憶している1982年は次のとおりです。
 ・SKD松竹歌劇団のホームグラウンド浅草国際劇場がクローズ。同年、SKD公演を歌舞伎座で。
 ・日生劇場での劇団四季公演が大ヒット。「アプローズ」他。
 ・帝劇での「屋根の上のヴァイオリン弾き」707回の上演記録。
 ・新宿コマ劇場の地下に「シアターアプル」がオープン。ウエイン・シレント主演「JACK」。
 ・ブロードウエイ・ミュージカル「DANCIN」(ボブ・フォッシー)来日。
 ・宝塚花組のトップスターだった順みつきさんが、まさかの外部出演「キャバレー」。
 ・中劇場の演出で串田和美氏や東由多加氏が話題に。
 ・佐々木隆子先生のリサイタル、ヤクルトホールで上演。

天野 俊哉




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