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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1821 佐々木隆子先生29回目の命日(そのA)
 1979年9月に初のリサイタルを開催した佐々木隆子先生は自宅のある南蒲田にタップダンス・スタジオを開きました。美人で、芸能人のお弟子さんも多く、カルチャー教室のタップダンス・クラスも大盛況とあって直ぐにマスコミが飛びつきました。その後、年賀状やらテレビに出演する時の宣伝など隆子先生ご本人からの手紙を沢山頂きましたし、私もテレビで踊られた時の感想等をハガキに細かく書いて送りました。

 ちょうど40年前の春、私のミュージカル映画の師匠である重木昭信さんからお借りしたタップダンスばかりのミュージカル映画、ドリス・デイとジーン・ネルソン主演の『ブロードウェイの子守唄』(1952)が私を再びタップダンスの道に引き戻す事に。今でも良く覚えているのが映画を観たのが1981年5月5日、翌日の6日水曜日にはもう蒲田を歩いていました。バカみたい!住所なんか調べずにただ《南蒲田郵便局のとなり》の情報だけを頼りに当時の国電蒲田駅を降りてからあっちこっちを歩き回りました。
 ものすごく、多分3時間は歩いて5時を過ぎた頃に佐々木隆子タップダンス・スタジオに到着しました。バカみたい!
 スタジオと言っても木造二階建ての家屋の1階にある洋間にベークライトという板を引き詰めただけの物でした。スタジオの入口は現在と同じ家屋の裏にありました。その裏辺りでは5歳くらいの長い髪の女の子が石畳のうえをケンケンパをしながら遊んでいました。4年後に私の女性パートナー第1号(コラムVol.1739をご参照)になるTYちゃんとのご対面です。出来すぎデスよね?

 隆子先生は渡米中の為、アシスタントの杉田先生が対応して下さいました。レオタード姿の美人先生は何と新宿の松本義男先生クラスの大先輩だったお方。その日のうちに入会金とお月謝を納め、そして2万円のタップシューズを注文しました。随分大金を用意してあったのですね。まだ20歳でしたのに。
 佐々木隆子タップダンス・スタジオで学ぶルーティンの1曲目“ワルツ”からスタートです。現在私が夏のチャリティー公演でSHちゃんに指導している“ワルツ”その物です。

 さて、隆子先生と初めてお目にかかったはそれから数週間後でした。教室と和室の間の廊下でしたが、まだ帰国して間もない隆子先生は赤いガウン姿のすっぴんで、私の想像していたエレノア・パウエルみたいな美人タップ・ダンサーとはかなり違ってました!すみません!
 「天野君て凄く頑張ってるんですってね!」のあと「良くお手紙くれましたよね?」と覚えていて下さいました。その気さくさが逆に魅力的でした。まだ29歳になったばかりなんて信じられますか?

 あくまで趣味で始め直したタップダンスですので日本橋三越のステージで開催される《タップダンス・ファミリーショー》も簡単にお断りしてしまったり付き合いの悪い大学生でしたが、踊る事よりも隆子先生のアドバイスや、ステージやイベントのスタッフとしてお手伝いさせて頂く事になるなんて。ましてやインストラクターとして隆子先生のスタジオで働く事になるなんて、その時は想像すら出来ませんでした。

 1981年5月から1992年4月まで約11年間の短いお付き合いだったのですね。先生とお別れしてからの時間のが長くなり、先生よりも年寄りになってしまいましたが私達は隆子先生との日々を今でも懐かしく思い出しております。

天野 俊哉



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