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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1739 踊り始めて35年になりました!
 Y'sのホームページのEVENT欄を開いて舞台の動きがすっかり止まってしまった現実と向き合いフーッと深いため息が。
 Y'sに留まらずタップ界全体であります。そんな中、タップ仲間の藤川誠さんが主催し2008年から頑張って継続している『川崎タップ・フェスティバル』が今年も9月に開催されるというのでチケットを入手しました。
 凄く楽しみです!

 今年2020年はダンサー・デビューして35年になります。私の周りにいる淺野康子さん、橋爪麻美さん、押田勝年くん、阿部久志さん、Y's取材班さん達はタップを学び始めて、というか佐々木隆子先生の教室に通い始めて直ぐに、ほんと直ぐに隆子先生のお誘いを受けて、多分ふたつ返事位で舞台出演を決めております。まあ、断れる人なんかいないと思いますが。
 ちなみにY's取材班さんは度胸があるというかこわいもの知らずというか、私のクラスに通い始めてお仲間と勝手に振付を考えて2ヶ月で舞台に立っていましたね。
 私の場合は隆子先生の生徒になった1981年と言えばまだ日大生、大学の有志で企画していた与論&沖縄旅行ツアーにどっぷりでした。隆子先生の教室に通い始めて2ヶ月目に『夏の日本橋三越屋上ステージ』でのミニ発表会も簡単にお断りしてしまいました。
 生意気なヤツですね?
 もともと人前で踊る!なんて派手な事には全く興味が無くて、鏡に向かって地味にステップを踏むことに満足してました。

 さて、コラム「35年前の夏」(Vol.1647)の様なまさかの展開でタップダンスのインストラクターになってしまった私。景気が良くて一月に企業のイベントが多くて10も20もあった隆子先生のスタジオ。他にテレビ、映画、舞台、CMなんてゴロゴロ。足りないのがダンサーなんて贅沢な時代。
 それでも頑なに「いえ、私は人前では踊りませんから!」を繰り返しておりました。
 そんな私もついに舞台に上らざるをえなくなったのが当時派遣されていた川崎カルチャーセンターの発表会が1985年秋に開催されてから。ダンス担当の先生方がデモンストレーション出演することに。日劇のスター・ダンサーでおられた神崎一人先生の音頭でショータイムが企画されてしまったのです。ジャズダンスの神崎先生をはじめモダンバレエ界の巨匠金光郁子先生と金光ファミリーの美女達、もう当時のプロダンサーからベテランのダンサー、バレリーナまでがずらっと揃いました。
 舞台経験ゼロの天野では太刀打出来ない、絶体絶命の状態に。隆子先生や阿部さんの様にソロなんかこなす実力も無いしなぁ?
 そこで思い付いたのが1930年代の名子役シャーリー・テンプルちゃんの世界。テンプルちゃんがハリウッドの名タップ・ダンサーと繰り広げた華やかなタップのデュエット・ナンバーの数々。
 そう、あれで誤魔化そう!

 隆子先生の秘蔵っ子を貸していただき素敵な衣裳をつくってもらいました。私はと言えば、衣裳なんて考えたことも無かったのでスタジオの先輩佐藤昇先生の黒のタキシードを貸していただき形だけは整えました。
 残された映像をチェックすると、蝶ネクタイは曲がり目線は落ちてばかりと酷いものですが若さって素晴らしい。お客様から頂いた花束を抱えニコニコ嬉しそうです!かくして私の舞台デビューは可愛い少女タップ・ダンサーとの競演で大盛況に終わりました。
 後にY'sの発表会でお世話になるサンピアン川崎での出来事でした。

 ソロよりも責任折半のデュエット・ナンバーにすっかりはまった天野は以降35年間にデュエットした男性タップ・ダンサーは4名、デュエットした女性タップ・ダンサーは30名。ちなみにソロ・ナンバーはわずか2回。恩師である佐々木隆子先生、タップ仲間の淺野康子さん、松本晋一さんらが尻を叩いてくれたお陰で幾度の引退宣言も撤回、現在に至ります。そろそろ還暦、舞台のキャリアも終わりに近づいておりますが最後のその日まで楽しむつもりでおります。

天野 俊哉



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