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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1695 もうすぐ生誕100年キャスリン・グレイスン〜MGMミュージカルの歌姫
 さあ皆さま!今回から1922年生まれのスター達にスポットを当ててゆきたいと思います。
 えっ?あんまり古すぎてヨクワカラナイですって?
 まあ良いではありませんか。最後までお付き合い下さいね。

 先頃このコーナーでディアナ・ダービンというクラシック音楽を歌う映画スターを取り上げたのを覚えてらっしゃいますか?(コラムVol.1691をご参照)
 ユニヴァーサル映画のディアナ・ダービンの売り出しに貢献した映画プロデューサーのジョー・パスタナックはその手腕を認められMGM映画にスカウトされました。パスタナックは出社早々、MGMの社長ルイス・B・メイヤーから「必ず第2のディアナ・ダービンを探してくれたまえ!」と命令をうけました。
 そして白羽の矢をたてたのが若き日のキャスリン・グレイスンでした(コラムVol.154をご参照)。『花の合唱』『凸凹スパイ騒動』など数本の作品に出演させてクラシックを歌わせたもののまるで冴えない?
 「ジョー、こんな調子でスターになれるんかいな?」
とぶちギレているメイヤー社長を前に
 「あの娘に必要なのはテクニカラーの華やかな映像なんですよ!」
と反論するジョー。
 「確かに白黒画面だとえらく地味やな」
と悟ったメイヤー社長。遂にMGM創立20周年記念テクニカラーのミュージカル大作『万雷の歓呼』にキャスリンを抜擢し、同じく人気が出ないでくすぶっていたジーン・ケリーを相手役に。ジョーはクラシックしか歌えないディアナ・ダービンの失敗を反省してキャスリンにはジャズやバラードから愛国的な歌に挑戦させると同時にMGMのハンサムなスター達とコンビを組ませました。キャスリン・グレイスンは『万雷の歓呼』に続くフランク・シナトラ、ジーン・ケリーと主演した『錨を上げて』でMGMのトップ・スターのひとりに。

 戦後になりMGMミュージカルの大スターを集めた『ジーグフェルド・フォリーズ』『雲の晴れるまで』には歌うゲスト・スターとして出演、人気歌手のフランク・シナトラとは『下町天国』『キッシング・バンディット』の2作品で共演。不思議なのは、せっかく面白い作品なのに白黒映画の『下町天国』でのキャスリンは全くダメで、逆に凄くつまらない作品なのにテクニカラー映画の『キッシング・バンディット』でのキャスリンは最高なのです。MGMの映像マジックという奴なんでしょうね。

 フランク・シナトラもジーン・ケリーもピーター・ローフォードも人気のあるスターでしたが、キャスリンと対等にデュエット出来る男性歌手の不在がキャスリン主演映画の弱みでした。1940年代後半、MGMにオペレッタ向きのハンサムなマリオ・ランザ、ハワード・キールが入社した事からキャスリンの全盛期が訪れます。マリオ・ランザと主演した『真夜中のキス』『ニューオリンズの美女』の方が魅力的なカップルに見えましたが、撮影中マリオ・ランザがキャスリンを乱暴に扱う事から、ランザとの共演を拒否する結果に。もうひとりのハワード・キールとの『ショウ・ボート』『ラブリー・トゥ・ルック・アット』そして『キス・ミー・ケイト』の3作品は揃ってブロードウェイ・ミュージカルの映画版ですが、名曲揃いなのとキャスティングの上手さでいづれも成功作となりました。

 そんな成功をよそにMGMには次の新しいオペレッタのスター、ジェーン・パウエルが登場して活躍を始めました。また、MGM映画会社のミュージカル映画製作の削減から1950年代半ばにはキャスリン・グレイスンの時代も終わりに。
 それから20年後の1974年に製作されたMGMミュージカルのアンソロジー映画『ザッツ・エンタテインメント』の世界的な大ヒットのお陰でキャスリン・グレイスンも《往年の歌う大スター》として甦り、素敵な一生を送りました。

天野 俊哉



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