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Vol.1691 もうすぐ生誕100年ディアナとヴィヴィアン〜ミュージカル映画のディーバ
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1921年生まれのスターをリスト・アップしたものの苦戦が強いられ、早くもこの2名でラストになります。
まあ、良いですね。
《ディアナ・ダービン》
ディアナは最初MGM映画のオペレッタのスターの卵でしたが、スインギーな歌唱をする同世代のジュディ・ガーランドに敗北してMGMを去ります。映画会社としては格下のユニヴァーサル映画のプロデューサー、ジョー・パスタナックに拾われ『天使の花園』の主演3人娘の末っ子にキャスティングされ注目されます。続いて主演したユニヴァーサル映画のミュージカル大作『オーケストラの少女』に大抜擢され大スターの仲間入りを。ニューヨーク・フィル・ハーモニー交響楽団の指揮者レオポルド・ストコフスキーと共演したこの映画は全世界で物凄いヒットを記録しました。その後、ディアナを主役にしたオペレッタのミュージカル映画が続々製作されましたが、ディアナの育ての親であるパスタナックがMGMに移籍した辺りから彼女に不運が立ち込めます。特に若くしての結婚は映画会社との確執になりました。それを別にしても彼女の主演作品の魅力の無さが決定的過ぎて引退を早めてしまいました。
ディアナ・ダービンのミュージカル映画は全て観ましたが、彼女の作品にはヨーロッパ調の優雅さが備わっていないと駄目なんだな、と思いました。全世界が戦争に突入した1940年代の時流に乗れなかった!ジャズが歌えなかった!踊れなかった!のがディアナの不運だった様です。
《ヴィヴィアン・ブレーン》
1940年代の20世紀FOX映画で活躍したブロンドの美人歌手ヴィヴィアン・ブレーン。とても瞳が綺麗なのでカメラのアップにも充分たえられます。ヴィヴィアンの不運は、コール・ポーター音楽のブロードウェイ・ミュージカルの映画化『サムシング・フォー・ザ・ボーイズ』をはじめ馴染みの無い作品ばかりである事。ヴィヴィアン40年代の代表作が、ロジャース&ハマーシュタイン音楽の『ステート・フェア』で、歌手のディック・ヘイムズとバラード対決を繰り広げ名曲の数々を披露しました。その他に『ノブ・ヒル』や『ドール・フェイス』など地味ながら面白いミュージカルがありましたが、やがて活躍の場を舞台に移しました。
舞台から映画の世界への流れに比べ、かつてのアメリカのショー・ビジネスでは映画から舞台、特にブロードウェイの舞台へ乗り込む事は不可能に近かったのです。そんな中、ヴィヴィアンは1947年に『野郎どもと女たち』のアデレイド役にキャスティングされ大当たりをしました。主要キャストのひとりネイサン・デトロイトのフィアンセ役で笑いを取りました。1955年、ハリウッドで『野郎どもと女たち』が映画化された時、主要キャストのほとんどがマーロン・ブランド、ジーン・シモンズ、フランク・シナトラらハリウッド俳優にチェンジされた中アデレイド役のヴィヴィアン・ブレーンだけは舞台と同じでした。歌の上手さに加えて、カメラのアップにたえられる美貌が立証されたからでしょうね。
今回はハリウッドのディーバ、ディアナ・ダービンとヴィヴィアン・ブレーンを取り上げました。
次回からは1922年生まれの映画スター、ミュージシャンらを取り上げてゆきますね。お楽しみに!
天野 俊哉
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