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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1394 もうすぐ生誕100年エレノア・ノリス・キートン〜喜劇王夫人
 1920年代のサイレント映画時代にチャップリンと並び喜劇王と呼ばれたバスター・キートン。映画が音を持つようになると、作風が合わなくなり人気が落ちてしまいます。
 そんな失意の中、トランプ・ゲームを通じて知り合い結婚したのが、今回取り上げるエレノア・ノリスさんです。
 エレノア・ノリスさんは、映画撮影所で働いていた父親を事故で亡くし、貧乏な家計を助けるために10代でMGM映画でダンサー契約しました。タップの女王と呼ばれたエレノア・パウエル主演の『ロザリー』をはじめ、1945年までダンサー出演を続けました。
 1940年、23歳年下の彼女がバツ2のバスターと結婚した時、かつての喜劇王には仕事が無くて、MGMで笑いのネタを提供するギャグマンの仕事をしていました。
 やがてテレビ全盛時代、バスターはレギュラー番組を持ったり運が向いてきました。
 1950年代後半、バスターが残した名作サイレント映画のフィルムが続々発見され、全世界で再評価され出します。1966年にバスターが70歳で亡くなってからもエレノア夫人はバスターの公報活動等で活躍しました。
 日本でも1972年以降、川喜多和子さんのフランス映画社によりバスター・キートンの再評価が始まり、1973年12月『キートンの探偵学入門』の劇場公開に合わせエレノア夫人が来日しました。当時12歳の私にも有楽町で行われた来日会見のお知らせ(写真右)が送られてきましたが、郵便ストライキのせいでその通知を受け取ったのは何と会見後の事でした。学校をサボってでも駆けつけたはずなので、今思い出しても残念な出来事です。
 テレビ番組でインタビューを受けるエレノア夫人を見て、晩年のバスター・キートンがとても幸せだったのだな、と感じ嬉しくなったものです。
 二人は26年間を添い遂げました。

 今回は、エレノア・ノリス・キートンさんを取り上げました。
 かなり重複しますがフランス映画社関連コラムVol.758759もご覧下さいね。

天野 俊哉


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