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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.95 2008年秋のショービズコラム その2
<小田和正コンサート>
最近、サザン・オールスターズだけでなく小田和正氏、山下達郎氏、沢田研二氏など、ベテラン勢のコンサートが目白押しですが、11月26日、小田和正氏の東京ドームコンサートに行ってきましたので、そのレポートを。
サザンと違って小田氏のいたオフコースは、TBS「ザ・ベストテン」など、テレビに出演しないグループだったので、私の場合、彼らの音楽が耳に入ってくることが全くありませんでした。私が小田氏に興味を持ったのが、「クリスマスの約束」というTVコンサートでした。小田氏が、山下達郎氏、桑田佳佑氏などのビッグ・アーティスト一人ひとりに手紙を出して、「クリスマスのコンサートで一緒に歌いませんか」と呼びかけるという企画で、その年は遂に誰も来なかった!!というすごい番組になってしまいました。誰も来ないので、仕方なくゲストとデュエットするはずだった「クリスマス・イブ」「桜坂」「夜空ノムコウ」「真夏の果実」を、たった独りで歌うわけですが、なぜかとても感動しました。「小田さんてすごい人だ」と。ちなみに次の年からは、ゆずとかが出演して、普通の番組になってしまいました。
さて、コンサートですが、サザンのコンサートと違って、“踊る”という部分がないせいか、お客さんが静かに鑑賞するタイプのものでした。オフコース時代の「さよなら」から大ヒットした「ラブ・ストーリーは突然に」、そして毎朝フジテレビの番組で流れている「今日も どこかで」まで、その歌声はもちろんのこと曲も詞も美しく、静かな感動がありました。開演前とミニ休憩時間におけるアニメーションや小田氏の観光ガイドなど、映像の使い方も楽しく、無駄の無い構成になっていました。アリーナに作られたいくつもの小ステージとそれをつなぐ花道は、恒例となっている小田氏の走り回る空間であり、その分いくつものアリーナ席をつぶして、スタンド席まで近づこうという心遣い(ただ、リハーサルでの怪我で歩行が辛そうでした)。さらに、アリーナとスタンドの間、ドーム一周に広い道を作り、小田氏はマイク片手に自転車に乗って歌い、パワーを見せてくれました。
私は興味本位で参加した人間ですが、小田氏と彼のコンサートに毎回通っているであろうファンの方たちとの、暖かいコミュニケーションに大きな拍手を送りたいと思いました。

コンサートのMCぶりを見ても、とても気さくな小田氏ですが、オフコース時代、つまり若い頃は気難しい人だったようで、そのころ出版された本には面白いエピソードが山盛りでした。近年、小田氏について書かれた出版物は「小田和正インタビュー たしかなこと」(小貫信昭氏著・2005年・ソニーマガジン・¥1,500)くらいです。自分の気持ちを包み隠さず語るとても面白い内容でした。
実はコンサートに先立ち、小田氏のレコーディングやコンサート、サザンの桑田氏のレコーディングやコンサートに、プレーヤーとしてよく参加されている方のお話を伺った時、私の「小田さんはとても細かくて、桑田さんは大雑把なんですか?」という質問に対し、お二人が全くその逆、との答えが返ってきました。「小田さんの録音はたいていワン・テイクでOKが出ましたね」とも。このインタビュー本でも、「曲を作る」という章でも、大雑把な発言に驚きつつ、歌を作るのも、私達の様に踊りを作るのも、同じなのだな、と参考になりました。本の後半では、今まで多くを語らなかったオフコース時代の盟友、鈴木康博氏との決別なども語られています。
近年、SPEEDを始め、再結成するグループも多いなか、オフコースやBOΦWYなど、二度と再結成などあり得ないからこそ、伝説として光り輝くグループに私は魅力を感じますね。

<1940年代のMGMミュージカルのスター
ヴァン・ジョンソン追悼>

1940年代、軍服が似合うアメリカのGIを代表するキャラクターで人気のあったヴァン・ジョンソンが12月12日、92歳で亡くなりました。ブロードウエイのダンサーとしてスタート。その後、MGM映画の専属スターとして、ミュージカルを始め話題作の多くに主演しました。 現在では、DVD(ワーナー・ホームビデオ)で簡単に入手できるMGMミュージカルの名作のひとつ「ブリガドーン」(1954)。ジーン・ケリー、そして今年7月に亡くなったシド・チャリース(コラムVol.83)ともに、ヴァンも主演しています。フレッド阿部さんと、初めてこの作品を観たとき、私たち二人ともジーンとヴァンによるソフト・シュー・スタイルのタップ・デュオ“I'll Go Home With Bonnie Jean”がとても気に入って、良く教室で真似をして遊んだものです。あまり面白いので、隆子先生にも勧めて観てもらったところ、「彼(ヴァン)って、ヘラクレスが踊っているみたいね」と。そう、ヴァンがミュージカル・スターとして評価されなかった最大の理由は、彼の大きすぎる体にあったのかも知れません。
ブリガドーンですっかりヴァンに興味を持った私は、彼が主演するミュージカル映画のビデオを次から次へと買ったのですが、ほとんど歌いも踊りもしないのです。本人の意志(「私は俳優だ」というプライド)なのか、MGMの方針(「ヴァンはミュージカル・スターではない」)なのかわかりませんが、「歌も踊りも上手なのになぜ・・・」、私としては常にじれったい気持ちでいっぱいでした。
劇場でリバイバル上映された、ヴァンとジューン・アリスン主演のミュージカル大作「姉妹と水兵」(1944)をフレッド阿部さんと観にいったときも、出演者のほとんどがミュージカル・ナンバーに参加しているのに、ヴァンだけは椅子に座ってニコニコしているだけでした。1946年に作られた作曲家ジェローム・カーンの伝記映画「雲の晴れるまで」には当時のMGMのミュージカル・スターの多くがゲスト出演。映画のフィナーレ近くにナイトクラブのバンドリーダーとしてやっと登場したヴァンは、「僕は絶対に踊らないからね」といった歌詞の“I Won't Dance”をルシル・ブレマーに誘われるがまま、嫌々歌い始めます。もしかしたらこのナンバーは当時のヴァンの本音で、パロディとして割り切って参加したのかも知れませんね。その後、ヘラクレスのような大きな体でさっそうと踊って見せてくれます。見事ですよ。この作品は書店で買える\500DVD(コズミック出版)の一本なので、是非チェックしてみてください。
1947年、MGMがカレッジ・ミュージカルの名作「Good News」の制作を発表したとき、アメリカのほとんどの映画ファンが「主役はヴァン・ジョンソンしかいない」と思ったそうです。ところが、イギリス人であるビーター・ローフォードが演じるというサプライズになってしまいました。ちょっと当たり前すぎるキャストですが、ヴァンの笑顔であの名ダンス・ナンバー“Varsity Drug”を見られたらどんなに素敵だったか、そう思わずにはいられません。軍服が似合うということから戦争映画の名作に数多く主演、「東京上空30秒」「戦場」「二世部隊」などDVD化されている作品をショップなどでよく見かけます。エリザベス・テーラーと共演した「雨の朝パリに死す」(1954)が、ヴァンの代表作と言えるかも知れません。ご冥福をお祈りいたします。

天野 俊哉





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