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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.440 トミー・ドーシー楽団とフランク・シナトラその1
 この何の刺激もないお題で、いよいよ近づいてきたY'sTapDanceParty発表会での演目シリーズ最後のグループを取り上げるつもりです。
 トミー・ドーシー(以下TD)は、ヒッグバンド時代に多くのミリオンセラーを出したバンドリーダー兼トロンボーン奏者です。活動時期は、1930年代初頭から亡くなる1956年までと長きにわたります。TDが世に出るまでトロンボーンという楽器は、どちらかというとブラスバンドでのボオボオといった吹き方をするものでした。TDは全く逆の吹き方で独自のスイートなスタイルを作り一世を風靡しました。TD楽団の強みは、スタープレーヤーが山程在団したことでしょう。さらに歌にも力を入れた事から魅力的な歌手も集まりました。ただTDには短気という大きな欠点があって、その為にせっかく育て上げたスター達が去ってゆきました。その代表が後の大歌手フランク・シナトラで、彼の独立でのいざこざはアメリカの芸能史に残るほどでした。
 TD楽団の優れた演奏を支えたのがドラムだと私は思います。バディ・リッチ、モーリス・パーティル、ジーン・クルーパ、ルイ・ベルソンらスイング時代からモダン時代まで大活躍してジャズ史に名を残すプレーヤーがいたのです。
 先のコラム「ヒッグバンド」でも書いた様に、TD楽団は、“WellGetIt”や(クラスの合同生徒により踊られる)“Opus#1”、そして(市川教室生徒により踊られる)“Three Little Words”などバリバリのスイングにおいても、ストリングスを多用して演奏におくゆきを作っていました。ストリング・セクションの配置は、基本的には(溝ノ口教室生徒により踊られる)“On the Sunnyside of the Street”などバラード曲における彼自身の甘いトロンボーン演奏を引き立てるのが目的だったのと、(当時の)ハリウッド映画で活躍する為に必要だったとみています。
 TDは1950年代テレビ出演で活躍していましたが、そんな絶頂期に急死してしまいました。
 さて、TDほどのネームバリューを利用しない手はありませんね。と言うわけで楽団を引き継いだのが、TDが亡くなった頃に楽団員だったウォーレン・コビントン(以下WC)でした。詳しい経緯は知りませんがこの新リーダーは、TDスタイルの継承ではなく時代にあった別のTD楽団を作り上げ、そして大ヒットさせたのが、ダンス音楽“Tea For Two Cha Cha Cha”でした。全盛期のTD楽団ばりのヒットでしたが、当然の事ながらTDファンからはそっぽをむかれたそうです。
 佐々木隆子先生振付“Tea For Two”は、このWC指揮TD楽団によるアレンジ版であります。私達が永年聴いている馴染みのイントロはありませんが、間違いないですね。今回は、Y'sTapDancePartyに入会したばかりの新人さんにより踊られるそうです。がんばって下さい。
 さてこのコラムでは、トミー・ドーシー楽団について書いてみました。その2では楽団の専属歌手だったフランク・シナトラを取り上げます。

天野 俊哉




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