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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.43 ダンスに生きたエンターテイナー達への追悼
タップダンス界の伝説
フェイヤード・ニコラス

フェイヤード・ニコラスは弟ハロルドと共に、ニコラス・ブラザーズというチームで一世を風靡しました。生前フェイヤードに会い、サインまでもらったという私達の友人、向井雅之君に語ってもらいます(天野)。

去る1月24日、フェイヤード・ニコラス氏が91歳で亡くなりました。 フェイヤード・ニコラスは1914年生まれで、幼少の頃より弟のハロルド(1921年−2000年)とニコラス・ブラザーズとして、ナイトクラブ、舞台、映画などで大活躍し、アクロバットタップの大スターでした。とはいえ人種差別が色濃い当時のこと、黒人である以上いくらかの差別を受けたことは想像に難くありませんが、そんな時代だからこそたくさんの黒人に希望と勇気を与えたことでしょう。
私は幸運にも3年前にロサンゼルスのタップフェスティバルでフェイヤードに会うことができました。もちろんもう踊ることはできず、いつも奥さんが(わかいっっ!)つきっきりで、歩くのもままならない様子でしたが、頭脳は明晰で、話すことに関しては全く問題ありませんでした。サインをいただいた時に、字を書くのも大変そうでしたが、とても優しく接して下さったのが印象的でした。 弟のハロルドが他界してからは仕事も徐々に少なくなったようで、病状が進むにつれ、高い医療費の為に生活が苦しかったようです。
私は、ニコラス・ブラザーズがプライベートでどのような人生を送ったのかも知りませんし、ましてアメリカの法律や国内事情などはよく知らないのですが、数少ないアメリカ独自の文化であるタップダンスに、あれだけの功績を残した大スターが、亡くなる前に苦しい生活を余儀なくされたことを知り、複雑な気持ちになりました。
我々は彼らのパフォーマンスを映像でしか観ることができませんが、誰にも真似のできない最高に素晴らしい芸術を遺してくれたニコラス・ブラザーズに感謝!・・・・・そして合掌。

向井 雅之



バレエ人口を増やした最大の功労者
モイラ・シアラー

モイラ・シアラーは、バレエ映画の名作「赤い靴」の主役として、今でも世界的に知られています。靴屋に扮した振付師でもあるレオニード・マシーンの怪演と共に忘れることのできない作品となっています。彼女は「赤い靴」の他、「ホフマン物語」など、映画界では脚光を浴びたプリマでしたが、逆に映画に出演してしまったことで本国では同じバレエ団の先輩であるマーゴ・フォンティーンほどの評価をされなかったそうです。 ただ私がマーゴ・フォンティーンを知っているのだって、昔チャコットのTV-CMに出演していたことと、映画「ザッツ・ダンシング」でルドルフ・ヌレエフとのデュエットを見たからなのです。皮肉なことですね。このモイラ・シアラーがタップのフレッド・アステア(「恋愛準決勝戦」)、コメディアンのダニー・ケイ(「アンデルセン物語1952」)と、ハリウッド映画で共演する予定だったことはあまり知られていません。 ちなみに代役として出演したのは、それぞれ、イギリス首相だったウィンストン・チャーチルの娘セイラ・チャーチルと、バレエ界の大御所ローラン・プティ夫人だったジジ・ジャンメールでした。どちらもビッグ・ネームですね。モイラ・シアラーのバレエ界への貢献度は世界一だと私は思っています。1月31日に80歳で亡くなりました。心よりご冥福をお祈りいたします。

MGMミュージカルを代表するダンシング・スタ−
ジューン・アリスン

戦後、日本で最も人気があった女優のひとりが、7月12日に88歳で亡くなったジューン・アリスンでした。もちろん、1948年〜1955年頃のことです。現在でも、ジェームズ・スチュアート(当コラムVol.39をご参照)と共演した「グレン・ミラー物語」のやさしい奥さん役として記憶されていますが、ダンサー出身であるため、1940年代はもっぱらMGMの踊るスターとして活躍しました。 「姉妹と水兵」「雲の晴れるまで」「グッド・ニュース」などのミュージカルに主演しましたが、今ひとつダンシング・パートナーにはめぐまれていません。アメリカの女性ダンサーのすべてが夢見るのがフレッド・アステアと踊ること!! 1950年「恋愛準決勝戦」のオファーが来て、あこがれのアステアとリハーサル。その直後、おめでたがわかり降板。ミュージカルスターとしては、最高の名誉を失ってしまいました。
「若草物語」を境に、人妻役へ役柄も移り、作品にも、相手役にもめぐまれてきます。先のJ.スチュアートをはじめ、ハンフリー・ボガート、ウィリアム・ホールデン、アラン・ラッド、ジーン・ケリー、ジャック・レモンら一流のスターと共演しました。実生活では、かなり年上の、歌手であり、俳優であり、監督であったディック・パウエルと結婚していました。 映画でも、実生活でも「良妻賢母であったジューン・アリスン」と思いきや、1992年日本でも出版された俳優ピーター・ローフォード(故ケネディー大統領の妹婿で、マリリン・モンローの殺人に関与した人物)の評伝には、お二人のアバンチュールがたっぷりと書かれており、彼女にも、ハリウッド女優らしい部分があったのだなと驚いたものです。 80歳近くになって「ザッツ・エンターテインメント3」に出演。MGMミュージカルのダンシング・スター時代を嬉しそうに語っていました。必要以上におでこが広くて、アヒルみたいな声のとてもチャーミングな女優さんとして一生忘れることができません。

天野 俊哉



アルゼンチン・タンゴ界のクラーク・ゲーブル
井上てつひこ先生

5月30日に井上てつひこ先生がご逝去されました。
井上先生には、生前に座長を務められていた黒猫座主催の公演「情熱のタンゴ」に2000年から4年連続して天野先生とのデュエットでゲスト出演させて頂き、大変お世話になりました。
穏和な笑顔と語り口ということもあって、“ただただ優しい”方というのが井上先生の第一印象だったのですが、それは私の勘違いでした。
井上先生はスタッフ・キャストにかかわらず毎回どなたかと衝突しておられました。もちろん、それは決して井上先生の理不尽ではなく、ダンスに対する、仕事に対する厳しさ故の様でした。物静かにビシッとおっしゃるその様は、声を荒げるよりもかえって迫力がありました。“ただただ優しい”という私の勘違いは、公演に参加させて頂く度に解消して行きました。“厳しさがあってこその優しさ”、それが井上先生のあの笑顔や語り口だったのです。
武道にも通じられていたこともあってでしょうか、井上先生は礼節にも厳しい方でした。隆子先生も礼儀や挨拶にとても厳しかったので私も相当躾られましたが、いざ自分が上の立場になってみると、ついつい甘くなってしまいます。指導者として人に厳しくするためには、先ずは自分に厳しくなければならないことをあらためて井上先生に教わった気がしました。最近、その教えの大切さと大変さを痛感しています。
「情熱のタンゴ」ではダンサーとして勉強になった、こんなエピソードもありました。
きっとプロとしてお互いに譲れないことがあったのでしょう、楽屋で出番間際のタンゴ・ペア(日本のアルゼンチン・タンゴ界では超有名なGさんRさんペアですが、ここではお名前は伏せておきますね)が、まるでメジャーリーグの主審と監督の様な迫力で衝突しているのです!「あんなムードで本番は大丈夫なのかな・・・。」それは全くの杞憂でした。まるで何事もなかったかの様にお二人は華麗に踊り、お客様を神秘的かつ官能的な世界に一気に誘っていったのです。 まさにプロフェッショナルな仕事を拝見し、身も心も引き締まる思いがしました。もちろんアルゼンチン・タンゴとタップダンスでは距離感も密着度も異なりますが、舞台における“心の距離感”というか、ペアとしての相互信頼の大切さを実感したエピソードでした。
井上先生は、ラテン系男性の様な色気や優しさと、武道家の様な凛とした佇まいを兼ね備えた、とても魅力的なタンゴ・ダンサーでした。同じ舞台に立てたことを光栄に思います。ジャンルが異なることもあって直接のご指導を頂くことはありませんでしたが、大切なことを色々と勉強させて頂いたという意味では、井上先生も私にとって“先生”の一人です。本当に有り難うございました。
あらためて、井上てつひこ先生のご冥福をお祈り申し上げます。

淺野 康子





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