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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.2005 オリビア・ニュートン・ジョン追悼〜私とオリビアさん
 歌手で女優のオリビア・ニュートン・ジョンさんが73歳の若さで亡くなりました。特にファンだったこともないのですが、私の目の前に突如現れた女神みたいな方です。何れも予備知識無しで、という事ばかりなのが印象的であります。つい最近も書店の音楽書コーナーに突如現れたのがオリビアさんの自叙伝!何で今頃?というのが本音。物凄く分厚くてしかもビニールが掛けてあるので立ち読みが出来ない!6月の『タップダンス・フェスティバル』が終わった後直ぐに購入したのですが、後回しになってしまいお盆休みに集中して読もうと思っていた矢先の訃報(8月9日)でした。

『グリース』
 1977年『サタディー・ナイト・フィーバー』の大ヒットで一躍ハリウッド映画の大スターになったのがジョン・トラボルタ。早速第2作目が製作されました。ブロードウェイ・ミュージカルの映画化、1950年代のハイスクールを舞台にした青春ミュージカル『グリース』(1978)。トラボルタの相手役に選ばれたのがイギリス人歌手のオリビアさん。映画ファンの高校の同級生によると「トラボルタより年上でもう30近いんだぜ!」とか。高校3年生の受験を控えた1978年の12月にロードショー公開中の映画館に、しかも同級生のデートに付き合わされてという複雑怪奇な状況でした。まあ良い!
 ダンスパーティーの場面のトラボルタがえらく短足、『サタディー・ナイト・フィーバー』の時と足の長さが違うのがやたら気になりました。オリビアさんが30近いと聞いてから10代の役は無理だとケチをつけながら観ていたのにフィナーレの野外パーティー場面の黒の体にピッタリの衣裳があまりにお似合いなので一気に体を乗り出してしまいました。結局浪人中に10回近く名画座に通って観てしまいました。

『ザナドゥ』
 1浪したのち無事大学生になった1980年の夏、友人と3人で企画したのが映画の都ハリウッド旅行。ハリウッドに到着したその日にハリウッド大通りにあるグローマンズ・チャイニーズ・シアターへ。セメントに形取ったスターの手形足形が有名な観光名所。劇場入口に間もなくロードショー公開される映画の大段幕が。
《XANADU》
 オリビア・ニュートン・ジョン&ジーン・ケリーとあるのでびっくり。
 私たち3人はオリビアさんのファン、映画ファン、そして私がジーン・ケリーのファンだったのでこのタイミングに大喜びしてしまいました。そしてロードショー公開の初日に駆け付け鑑賞しました。オリビアさんが歌う“マジック”や“サドンリー”が聴ける上にオリビアさんとジーン・ケリーがタップダンスを踊るデュエットが登場しました。このナンバーには物凄い拍手が湧きました。
 オリビアさんこの『ザナドゥ』公開にあわせて『ハリウッド・ナイト』というテレビ・ショーに出演、ゲストのジーン・ケリーとデュエットしました。後日、日本でもテレビ放送されました(関連コラムVol.137をご参照)。

“フィジカル”
 1982年オリビアさんの歌手人生最大のヒット曲が登場しました。それが“フィジカル”。この曲をわが師匠、佐々木隆子先生が自身の振付作品に取り入れました。隆子先生と女性の先生方によるジャズとタップをミックスしたしなやかな動きが素晴らしかったです。
 隆子先生はオリビアさんとジョン・トラボルタの大ファンでしたので初期のリサイタルでは映画『グリース』の中の曲をよく踊っていました。私も銀座博物館劇場での1986年のリサイタルで同期のTYとペアで踊ったのが懐かしいです。

 オリビアさんが主演した2本のミュージカル映画を鑑賞、自叙伝をゆっくり読んでオリビアさんを偲びたいと思います。
 オリビア・ニュートン・ジョンさんのご冥福をお祈りいたします。

天野 俊哉



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