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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1800 もうすぐ生誕100年アン・ミラー〜ついにMGM時代へ@
 “アメリカのシューベルト”と呼ばれた音楽家アーヴィング・バーリンが自分の名曲の“イースター・パレード”を使って「ミュージカル映画を製作してみないか?」とハリウッド最大の映画会社MGMに60万ドルで売り込んだのが1946年の事。直ぐに製作が決まり、発表されたクレジットは以下の通り。
監督/ヴィンセント・ミネリ
主演/ジュディ・ガーランド
主演/ジーン・ケリー
助演/ピーター・ローフォード
助演/シド・チャリース
 半年もしない内に監督は振付師のチャールズ・ウォルタースになり、自宅で怪我をしたジーン・ケリーの代役として引退していたフレッド・アステアが呼ばれカムバックをする事に。
 さらに『あなたと島で』に出演していたシド・チャリースが撮影中に怪我をしてしまい出演不可能に。
 MGM映画の社長ルイス・B・メイヤーは1943年にエレノア・パウエルが引退して以降MGMに女性タップ・ダンサーが居ないことに不満でした。コロンビアのB級ミュージカルでタップを踏んでいた、当時こちらも引退していたアン・ミラーのもとに「MGMでフレッド・アステアと踊ってみませんか?」と自ら電話したそうです。

 アン・ミラーは14歳でRKOラジオ映画、17歳でコロンビア映画、そして24歳でMGM映画と契約。順にスタジオの格が上がってゆくというありえない映画人生を迎えました。私は長いことMGM映画におけるアンはたくさん踊らないし、主役ではないし、出番が少ないしとマイナスに見ていましたが、コロンビア映画時代とは違い豪華なテクニカラー、豪華なスタッフ、豪華な共演者たちに恵まれていた訳ですから凄く幸せだったのですね。何せコロンビア映画のミュージカル1本の製作費全てが“イースター・パレード”を映画で使用する、1曲の権利だけに支払われてしまうのですから桁違いですよね。

 さて、『イースター・パレード』でアンには夢のような素晴らしいソロ・ナンバー“シェーキング・ザ・ブルー・アウェイ”が用意されました。映画の為に契約された振付師ロバート・アルトンは腕の動き、スカートが舞うステージング、演出はしましたがタップの振付はしないのでアンは個人的に友人のニック・カッスルにタップの振付を頼んだそうです。今日ではアン・ミラーの伝説のタップ・ナンバーになりました。アン・ミラーの熱烈なファンだった私達の師匠の佐々木隆子先生はアンが着た黒と黄色をベースにした華やかな衣裳を自分の初めてのリサイタルの為に造りました。音楽だけは“イッツ・ア・シン・トゥ・テル・ア・ライ”に代えましたがこちらもオリジナルと思えるくらい魅力的なソロ・ナンバーになりました(コラムVol.393をご参照)。
 《ダンスの神様》フレッド・アステアとのデュエット・ダンスは短いものでしたがアンは低い靴を履いて白いドレスで挑戦しました。アンはRKO時代にアステア主演の『踊る騎士』のヒロインのオーディションに落ちた経験から「いつの日かフレッド・アステアと踊ってみたい!」と思っていたので天にも昇る気持ちだったのでしょう。

 余談ですが、アンのメイド役エッシーを演じた黒人女性は《セピアのシンデレラ》と呼ばれたタップ界ではアンの大先輩にあたるジェニー・ルゴン。1930年代にあの伝説のタップ・ダンサー、ビル・“ボージャングルス”・ロビンソンと映画でタップ・デュエットした凄い方です。ご興味のある方は関連コラムVol.366をご覧くださいね。

天野 俊哉



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