TAP DANCE LOGO
INSTRUCTORS
STUDIO : 戸塚スタジオ
NETWORK
SCHEDULE
EVENTS
COLUMNS
DANCE TEAMS
LINKS
OUR MASTER : 佐々木 隆子
COLUMNS

Vol.1647 35年前の夏
 毎年アブラゼミからつくつくぼうしの大合唱に替わるお盆過ぎの時期になると思い出すのが佐々木隆子先生との運命的な出会いであります。今から35年前の夏、私が浪人と留年を経て迎えた大学4年生の人生最後の夏休み。

 ひとつ目の出会いは8月後半の事、いつもの様にレッスンの何時間も前に蒲田に着きました。今もあるJR蒲田駅のコンコースで隆子先生とバッタリ。
 「天野君今日ひま?」
 「レッスンに」と言いかけたけど、素直に「はい」とだけ返事をしました。
 そこから墨田区両国にあるベニサン・スタジオまでお供する事に。鉄筋のボロい階段を昇りスタジオに入ると大勢のダンサー達が稽古中。私は宝塚歌劇団のトップ・スターだった汀夏子さんの退団後のリサイタルの稽古場に連れてこられた様です。
 「ちょっと手伝ってね!」となにげにおっしゃる先生に、
 「でも先生、僕まだ3年しかタップやってませんけど」とビビりながら反論するも、
 「3年やってれば教えられるわよ!」と簡単に言い切られました。
 隆子先生は汀夏子さんに付きっきりになるので、私は他のダンサー達を見る事になるらしい。私の前には、汀夏子さんの相手役の俳優の笹野高史さん、そしてプロの男性ダンサー4名と女性ダンサー4名の計9名がズラッと並び、10日後に新宿シアターアプルで幕を開ける『汀夏子リサイタル招待夢』に向けての猛特訓が始まりました。
 やがて、シアターアプルで開幕したリサイタルでは隆子先生振付のタップナンバー“Sing Sing Sing”はお客様から連日大きな拍手を頂きました。若かった私は拍手を受けるダンサー達にすっかり感動してしまい、タップ・ダンスを指導する事にすっかり魅力を感じていました。
 就職活動に全く実の入らなくなった私はある日隆子先生に
 「タップ・ダンスのインストラクターをやってみたいのですが?」と相談に行きましたが、
 「大学出の男がダンス教師になんかなるんじゃない!」と簡単に断られてしまいました。
 私の将来を真剣に考えて下さった隆子先生の厳しいお言葉を胸に就職活動を再開しました。

 数日後、蒲田駅のコンコースで隆子先生と2回めの出会いをしました。
 「ねぇ天野君、〇〇さんこの仕事ダメらしいの」
 蒲田教室で私とクラスメートだった女性で、当時佐々木隆子タップダンス・スタジオ期待の新人インストラクターと噂の〇〇さんが半年で早くも挫折したのだ。
 「あなた教えたいって言ってたけど彼女の教室をお願いできるかしら?」と隆子先生。
 「大学出の男がダンス教師になんかなるんじゃない!」のお言葉はどうなるんですか?とは聞かずに
 「私で良ければ?」とだけ答えて仕事を頂きました。そして月曜日の川ア教室と蒲田教室、土曜日の大宮教室の3クラスに通い始めました。
 1984年の9月の事です。

 その日以来35年、地道にこの仕事を続けております。全く興味の無かった舞台で踊るダンサーの仕事も馬鹿みたいに続けております。
 今日の自分があるのは全て佐々木隆子先生のお陰であります。これからも楽しく頑張ってまいります。

 たくさんの感謝を込めて。

天野 俊哉



Copyright 2005 Y's Tap Dance Party. All rights reserved.