TAP DANCE LOGO
INSTRUCTORS
STUDIO : 戸塚スタジオ
NETWORK
SCHEDULE
EVENTS
COLUMNS
DANCE TEAMS
LINKS
OUR MASTER : 佐々木 隆子
COLUMNS

Vol.1592 もうすぐ生誕99年山口淑子(李香蘭)さん〜伝説の映画女優
 このコラムがホームページに掲載される頃には平成の次の新元号が発表され、ああだこうだと物議を醸している事でしょうね。
 平成がどれだけ素晴らしい時代であったか?
 それは日本に於いて『戦争の無い時代』だった事に尽きると私は思っています。

 今回ご紹介する山口淑子さん(1920〜2014)は激動の昭和を生きた伝説の映画女優です。追悼コラムでもご紹介しましたが、山口さんには李香蘭(リ・コウラン)という中国名があり、その李香蘭こそが今日まで伝説になっている部分であります。
 私は子供の頃から山口さんをテレビのワイドショーの司会者としてよく知っております。そして、昭和から平成に替わる頃に、山口さんご本人が書いた自叙伝『李香蘭/私の半生』と劇団四季のお芝居『ミュージカル李香蘭』で李香蘭の存在を、映画『ラスト・エンペラー』で李香蘭を育てた満州国という国の存在を初めて知りました。実はこの満州国の存在を理解していないと李香蘭の話が出来ないのですが、Y'sのホームページは歴史書ではありませんので、戦争中に日本国が築きあげたニセモノ国家とだけ書いておきましょう。

 日本人でありながら美しい中国娘として日本や日本が侵略していた国々相手に宣伝、利用されていた李香蘭は、映画で大活躍しましたが、満州で主演した作品よりも、日本に来日した時に東宝映画で撮影した作品での李香蘭の方が魅力的でした。ただ、日本映画の名優長谷川一夫さんが主演した『支那の夜』を観た時は、みすぼらしい姿をした中国娘の李香蘭が次第に日本人に惹かれ、美しく成長する、みたいなインチキ臭いあり得ない内容で呆れ果てました。男尊女卑が正当化されていた戦前の日本もそこには描かれていたのです。が、作曲家の服部良一氏が書いた名曲“蘇州夜曲”はロマンティックで美しい私の大好きな曲です。映画の中では李香蘭その人が歌っています。
 歌が大変上手いことから李香蘭はラジオやコンサートをよく開いていましたが、一番有名なのが1941年2月11日に有楽町にあった日劇で開催されたコンサートです。10万人もの人が押し寄せ、暴動寸前の騒ぎになった事から《日劇七回り半事件》として知られています。自叙伝にはそのコンサートの時に彼女のボディガードとして付き添った男性への淡い恋心が綴られており、戦争による永遠の別れは思わず涙を誘います。

 たとえ人気はあっても、日本人でありながら中国人になりすまし、全ての人を騙して生きている女優李香蘭をやめたい!という苦しみ、日本が敗けて終戦になったことから今度は日本人山口淑子である事を証明しなければならない。自叙伝では信じられない出来事が続きます。すべてが立証され、戦後晴れて日本人山口淑子として生き始める姿は感動的です。
 自叙伝の最後には1972年の日中共同声明調印式をテレビのワイドショーから生中継する山口さんの気持ちが綴られています。私もこの中継を観ていたはずです。
 ちなみにこの友好を記念して初めてのパンダ、ランランとカンカンが中国からやって来た訳ですね。

 “平”和を“成”した今の時代に感謝して終わりたいと思います。

天野 俊哉



Copyright 2005 Y's Tap Dance Party. All rights reserved.