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Vol.1381 生誕100年ジョー・スタフォード〜素敵なバンド・シンガー
 1930年代から40年代にかけてアメリカで絶大な人気を誇ったビッグ・バンド・ジャズ。何処の楽団にも専属の男女バンド・シンガーがいました。
 Y's発表会で淺野康子さんが振付をしたジャズダンス・ナンバー“No Moon at All”なんて渋いジャズをハスキーな声で歌っていたアニタ・オディも、信じがたいことですがジーン・クルーパ楽団のバンド・シンガーだったのです。

 2017年に生誕100年を迎えたジョー・スタフォードの歌を初めて聴いたのがトミー・ドーシー楽団のレコードでした。当時1940年頃のドーシー楽団にはあの偉大なるフランク・シナトラがおり凄い存在でした。ジョーは3人組の男性コーラス・グループ、パイド・パイパースの一員みたいな扱いで歌うことが多かった様です。よって、「フランク・シナトラ&パイド・パイパースの歌」なんて時は必ずジョーがおりました。
 ドーシー楽団には、3曲メドレーという名物があり、フランク・シナトラのバラード、トミー・ドーシーの甘いトロンボーン、そしてジョーのスイングというパターンでした。フランクもジョーも毎晩こうしたその日その日の企画もので、様々な歌曲を歌わされ実力をつけたそうです。なるほど!

 ジョーは、このドーシー楽団時代に3本のMGMミュージカル映画に楽団の一員として出演しています。つい最近、コラムVol.1372でも取り上げた『デュバリーは貴婦人』でのナンバーが楽しい。この時期、すでにフランク・シナトラは独立をしておりませんが、ディック・ヘイムズが後釜としてメインパートを。ジョーはやはりパイド・パイパースの一員なんですねぇ。そんなジョーですが、ドーシー楽団時代に歌った“Embrasable You”“Blues in the Night”“Manhattan Serenade”等のソロ・ナンバーではその実力を発揮しています。
 ジョーがドーシー楽団にいた時代はちょうど第二次大戦中で、彼女の暖かくて包み込む様な歌声は、戦地で故郷を懐かしむアメリカの兵隊さん達に大変支持されたそうです。

 やがて、独立をして新設のキャピトル・レコードにソロ・シンガーとして迎えられ、ポール・ウエストンという名アレンジャーと新曲を発売してゆきました。
 ただ、同時代に活躍したドリス・デイ、ダイナ・ショア、フランク・シナトラ程は長くはヒットを飛ばせなかったのかな?その活躍は1950年代前半までの様です。

 私はトミー・ドーシー楽団とフランク・シナトラの大ファンだったので、便乗してジョー・スタフォードやパイド・パイパースのレコードまでもあちこち探しまわったものです。1980年代の半ば、まだまだ音楽産業も好景気で、六本木にあったWAVEのビルに通ったのが懐かしいです。

 今回はジョー・スタフォードを取り上げました。

<ジョー・スタフォード トリビア>
・1952年にポール・ウェストンと再婚し、ジョナサン&ダーリーン・エドワーズを結成。二人でコメディーの演目を開拓し、有名な曲をパロディーにして人気を博す
・1961年にパロディー・アルバム「JONATHAN & DARLENE EDWARDS IN PARIS」(写真下段右)でグラミー賞 最優秀コメディ・アルバム賞を受賞した

天野 俊哉


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