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Vol.938 原節子さん追悼〜花の命は短かった
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1940年代から50年代にかけ日本映画界で大活躍し、60年代初めに引退した女優の原節子さんが亡くなりました。
私の母が原さんのファンで「青い山脈」の島崎先生役が好きだった、とよく話してました。
その縁で早くから原さんの映画を観る機会がありましたが、デビューの1935年から戦争が終わる1945年までの女優として一番華やかな25歳までの時代が全く生かされていません。特に酷かったのが戦時中で、東宝の戦争映画では女優の出演場面はたったのワンシーンなんて当たり前、出番が多かった「阿片戦争」でも戦火を逃げまとうだけの、しかも中国人娘の役でした。
先日亡くなったハリウッド女優のモーリン・オハラさんが原さんと同い年ですが、21歳でという若さで「わが谷は緑なりき」という代表作にめぐりあっているのに。運命ですよね。
戦後、黒澤明監督作品「わが青春に悔いなし」あたりから良い作品に恵まれはじめ、29歳で代表作となる小津安二郎監督作品「晩春」と出会います。
小津監督の「東京物語」や成瀬巳喜男監督の「めし」等の人妻役を経て「ノンちゃん雲にのる」のお母さん役あたりを最後に引退するまで良い作品、良い役柄には恵まれませんでした。
私は吉村公三郎監督の「安城家の舞踏会」や木下恵介監督の「お嬢さん乾杯」で原さんが演じた没落華族の令嬢役が適役だったと思います。
田中絹代さんの様に年を取ったら年相応の役を演じて女優人生を全う。
原節子さんの様に美しいまま女優人生を終える。
そして現在、このお二人の女優人生を重ね合わせ、両立させながら女優を演じているのが、吉永小百合さんではないでしょうか?
我々普通の人間から見ると皆さん凄い事ですよね。
原節子さんの御冥福をお祈りいたします。
天野 俊哉
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