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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.936 生誕100年記念フランク・シナトラ番外編
 計画性が無い人間なのでいつもこうなるのですね。
 番外編。
 万が一フランク・シナトラに興味を持たれてもDVDやCDを購入してみようという時代ではありませんよね。
 そうそう、忘れていましたYouTubeの存在を。
 てっとり早くFrank Sinatraを検索するも何をどうおすすめすれば良いものか?
 あまり専門的にならない程度に〈タップダンスを踊らされたフランク・シナトラ〉をセレクトしてみましょう。
 我らがフランクは、踊る大スターであるジーン・ケリーとミュージカル映画で2回、さらにテレビショーでもステップを踏んでいます。
「錨を上げて」
 原題“Anchors Aweigh”
 曲名“I Begged Her”
「私を野球に連れてって」
 原題及び曲名“Take Me Out to the Ball Game”
 初めて観た時に感じた〈楽しさ〉は今でも色褪せていません。逆に、何でこんなに簡単なステップで我々観客を引き込んでしまうのか?勉強させられるタップダンスナンバーです。日本でタップをお稽古されている皆さんの方がはるかにフランクよりもお上手です。ただ、踊れない人をここまで指導してしまうジーンの才能には足元にも及ばない私です。
「カムバック・ショー」
 原題“Ol Blue Eyes Is Back”
 気まぐれなフランクは50代で1度引退しますが、直ぐに復帰します。
 復帰記念のテレビショー(1973)のゲストが天下のジーン・ケリー。そう、わがままフランクが認める唯一のダンスの先生です。
 私が初めて映画雑誌「スクリーン」を買った時、二人のリハーサル写真が掲載されてましたっけ。
 この“Medley Number”でのフランクはタップは踏まないものの、若いときよりも前向きに、しかもダイナミックに踊りに挑戦しています。「踊る大紐育」の“A Day in NewYork”バレエでは吹替えなどを使っていたくせに。まったく現金な人だ。
 YouTubeで〈FrankSinatra and GeneKelly〉を検索すると上にあげた映像が全て出てきます。
 また、同じ“I Begged Her”でも白黒の画面をクリックするとラジオ番組でのフランクとジーンのデュエットを聴くことが出来ます。1945年当時、フランクがどれだけ凄いアイドル歌手であったかを物語るライヴ放送です。
 興味のある方はぜひご覧になって下さいね。
 おわり。

天野 俊哉




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