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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.86 「ショービジネス・コラム(2008夏その2)
<ジョー・スタフォード追悼>
1940年代ジャズ歌手として活躍したジョー・スタフォードが7月18日亡くなりました。彼女はトミー・ドーシー楽団のバンド・シンガー時代に「Ship Ahoy」(1942)、「デュバリーは貴婦人」(1943)という2本のMGMミュージカルに出演しています。私が彼女の存在を知ったのは映画が先でした。それらの映画では、エレノア・パウエルやジーン・ケリーが踊るタップダンス・シーンの後ろで、今となっては信じがたい事ですが、後の大歌手フランク・シナトラらと一緒に歌っているのです。豪華な時代だったのですね。ジョーのいたパイド・パイパースという女性1人男性3人のコーラス・グループは、1940年代最高のポジションにあり、後のマンハッタン・トランスファーなどに大きな影響を与えました。
同じバンド・シンガー出身でありながら、近年亡くなったペギー・リー(ベニー・グッドマン楽団出身)、ローズマリー・クルーニー(トニー・パスター楽団出身)、アニタ・オディ(ジーン・クルーパ楽団出身)ほど日本では取り上げられませんでした。来日経験が無いことと、全盛期が第二次大戦末期のため、日本のジャス・ファンがタイムリーで接していないことがその理由かもしれませんね。

<BOOK@>
すぐれた映画ライターであり、「ペーパームーン」などの映画監督であるピーター・ボグダノヴィッチ。そんな彼がハリウッドの名優たち25名を取り上げ綴った800ページの「私のハリウッド交遊録・映画スター25人の肖像」(エスクワイヤ・マガジン・ジャパン)が発売されました。\4,300と決して安くはありません。こんなに重い本はクインランの映画スター人名辞典以来かも。しかし、これって誰が買うのだろう?? と思いつつ手を伸ばしてしまいました。
25人のほとんどが故人となった中で、現在82歳で健在なのがジェリー・ルイス。1950年代から60年代にかけて「底抜け」のタイトルで多くのコメディに主演した大物で、日本でも人気が高かったのに、彼に関する書物はゼロ。そんなルイスのインタビューがたっぷり100ページも収められているだけでもすごい価値です。インタビューというのは、インタビュアーがよほど優れていないとQ&Aが生きないもの。その点、ボグダノヴィッチはNo.1なので、こちらの知りたいことを巧みに聞き出してくれています。人気絶頂期にディーン・マーティンとのコンビを解消したのはなぜか、などなど。ちなみに、今では「魍魎(もうりょう)の箱」など、すっかり映画監督として成功している原田真人さんも、かつてはハリウッドの特派員として優れたインタビュー記事を残しています。
25人の中には、ジェームズ・キャグニーやフランク・シナトラが含まれているものの、他にはミュージカル・スターやタップ・ダンサーがいないので、このコラムでは場違いかも知れませんが、書店で見かけたらちょっとページをめくってみては。

<BOOKA>
書店で「渥美清の肘突き」(岩波書店\2,400)なる本が目に入りました。渥美氏が亡くなって12年以上、相変わらず「男はつらいよ」シリーズの人気は衰えることなく続いていますが、その人生はもう語り尽くされただろう、と思いつつ本を手にとって驚きました。
筆者は、福田陽一郎氏。かつては「ショーガール」、近年ではタップの名作「シューズ・オン」の演出として知られている方です。この本は、今年76歳の福田氏による、そのキャリアを綴った本です。舞台だけでなく映画やTVドラマも数多く手がけ、その活躍ぶりは現在の三谷幸喜氏ばりでした。と思って読んでいたら、似たキャリアのせいか、巻末には福田氏・三谷氏二人の対談が収められているという充実ぶりです。
私が大学生の頃、福田氏の演出といえばとてもおしゃれで魅力的なものでした。代表作は、木の実ナナさんと細川俊之さんの「ショーガール」。シリーズのスタートからクローズまでのエピソードが興味深かったですね。また、2006年の正月まで続いたタップのショー「Shoes On」も、演出家によって語られると、クローズしてしまったのも仕方ないことだと思われてきました。
さて本書「渥美清の肘突き」は、いかにも岩波書店らしい渋くて味わいのあるタイトルですが、セールス的には福田氏のバラエティに富んだキャリアを前面に出したタイトルのほうが良かったのではないかと思いました。ちなみに渥美氏のエピソードは、福田氏の観劇仲間だった彼が、舞台が始まって15分ほどで隣に座っている福田氏の肘を突いてくることがあったが、それは何の合図かというと・・・。それは読んでのお楽しみ。

<サザンのコンサートに行ってきました>
8月17日サザン・オールスターズ30周年記念コンサートに行って来ました。休止宣言などもあって異様な盛り上がりを見せていました。サザンのコンサートは82年1月の日本武道館以来の参加なので、実に26年ぶり。チケット入手は難しいと言われていたのに、運の良いことにファンクラブを通じてアリーナ席をゲット。
「東京リズム劇場」浜松公演の翌々日にあたるその日、濡れても良いようにカッパとサンダルを用意して日産スタジアムへ。私にとって横浜での野外イベントは、「港まつり」「横浜博」と雨つづき。そして案の定、今回も。私の席はアリーナC4ブロックという、限りなくステージに近い場所でした。もう向こう10回もコンサートに通っているであろう、筋金入りの熱いファンの方々に囲まれてしまいました。
今回のコンサートでは、「歌ってほしい曲」のリクエストを事前に募集していました。それを知った時、ファンにとっては嬉しい企画だけれども桑田氏にとっては本当のところどうなのか、というのが気になっていました。ファンの好きなサウンドはおおむね似ていて、コンサートでそれらをまとめて歌うことはアーティストとしては辛いことだと思ったのです。それに原由子さんの歌も聴けないのでは・・・。
ところが、いざフタを開けてみると、リクエスト上位の曲だけでなく、100何位の曲なども登場するので、その「遊び心いっぱいの選曲」に大笑い。ホッとしました。25年前には全然ヒットしなかったのに古いファンには愛着のある「東京シャッフル」(94位)までも登場したのにはびっくり。彼らが観客の前でこの曲を歌うのは、当時の「NHK紅白歌合戦」の時以来のはず。さらに最初のアルバムに入っていた、「お正月〜」と連呼する不思議な曲「いとしのフィート」(198位)や、松田弘さんの「松田の子守唄」(72位)、原由子さんの「そんなヒロシにだまされて」(125位)も聴くことができました。
初期のアルバムの曲やレコード時代のB面の曲など、目立たない曲を多くピックアップしているため、コンサート前半は実は「30年前からコツコツ応援してきてくれたファンのため」のコーナーになっていて、若いファンの方にはかなり辛い内容だったかもしれません。
30年間で数々のヒット曲を作り出したサザンのパワーは今回の構成を見ても一目瞭然。他のアーティストでは絶対に不可能な曲の並べ方でした。サザンの三大泣かせバラード、「いとしのエリー」(3位)、「真夏の果実」(1位)、「TSUNAMI」(6位)を一気に歌ってしまったり、ラテン歌謡ロック「エロティカ・セブン」(29位)、「ホテル・パシフィック」(12位)、「ボディ・スペシャルU」(5位)を続けたりの構成で、客席はぶっ飛んでいました。
近年サポートメンバーが多くて大所帯になってしまったサザンですが、新曲「I AM YOUR SINGER」をメンバー5人だけで歌い踊ったり、フィナーレで5人だけが広いステージに残る姿が懐かしくて嬉しかったです。
今回の休止宣言ですが、コンサートが進むにつれ「これで終ってしまうことはあり得ない」と感じるようになりました。なぜなら、歌う側にも、聴く側にも「さよなら」ムードがゼロだったからです。3時間いっしょに歌い続けた7万人のファンを目の前に「必ずまたやります」と宣言してくれました。一日も早い復帰を祈ります。
最後に私の好きなサザンの曲ベスト10(古い順)
 Let It Boogie(1979)
 夏をあきらめて(1982)
 東京シャッフル(1983)
 みんなのうた(1988)
 真夏の果実(1990)
 涙のキッス(1992)
 すてきなバーディ(1993)
 ホテル・パシフィック(2000)
 雨上がりにもう一度キスをして(2003)
 彩〜Aja〜(2004)

天野 俊哉





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