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Vol.82 ハリソン・フォードの映画
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その1「ブレード・ランナー」(1982)のコト
先日、書店で¥3,800もする「メイキング・オブ・ブレードランナー」という本を見つけてびっくりしました。「ブレード・ランナー」は確かハリソン・フォードが「スター・ウォーズ」と「インディ・ジョーンズ」の間に出演した古い映画です。リドリー・スコット監督自身が認めているとおり、あまりに進歩的であったため、ナレーションを加えたり何度も何度も編集をしたことで更に混乱してしまい評価が分かれてしまいました。
ビデオを引っ張り出してまでチェックしたところ、なんと「ブラック・レイン」のSF版でした。1982年当時、スコット監督の考えに近未来2019年のLAはとてもオリエンタルで大阪の繁華街のよう。のちの「ジャパン・アズNo.1」を既に予想していたわけですね。とても興味深く観たのですがただひとつ悪役(レプリカント)が魅力不足で物足りなさを感じました。7年後、スコット監督が「ブラック・レイン」を作ったとき、冷酷な悪役に松田優作さんを起用したのはこの失敗があったからかも。
(DVD 6/11ワーナーから発売。214分(! !)の特典映像付き)
その2「インディ・ジョーンズ」とタップダンス
さて、ハリフォン・フォードのラッキーな所は、「スター・ウォーズ」シリーズと共に、「インディ・ジョーンズ」シリーズがあること。今年、最終作が公開された「インディ・ジョーンズ」の1本「魔宮の伝説」(1984)には、すばらしいタップダンスシーン“Anything Goes”があることを思い出しました。振付はシアター系タップダンスの名手ダニー・ダニエルズ。テレビ放送を見逃した方は、DVDが再発売されたので、ぜひチェックしてくださいね。
私の師匠、佐々木隆子先生が1985年に渡米した時にこのダニー先生のレッスンを受けられ、帰国後私達もそのスタイルを学びました。1986年に行われた隆子先生のリサイタルのプログラムに、ダニー先生に関して「ブロードウェイ・ミュージカル事典」(劇書房)の著者である芝邦夫氏が文章を寄せてくださったので、紹介させていただきます。
「本物のフーファー、ダニー・ダニエルズ」
芝 邦夫
昨年、ニューヨークで「タップ・ダンス・キッド」の舞台を見た時は、すっかりうれしくなってしまった。昔の映画で見たような名人芸的なタップが、現代化されて次々とくりひろげられたからだ。タップ・ダンスはステップ中心の踊りだから、どれだけステップにバリエーションがあるかということで、面白さの半分は決まってしまう。主演のヒルトン・バトルの踊りのテクニックも凄かったが、これを振付けたのは誰だろうとプログラムを見るとダニー・ダニエルズの名前があった。
なるほど、などと一人で納得したのだが、ダニー・ダニエルズこそは、今やタップの第一人者なのだ。24年にニューヨークで生まれた彼は、15歳の時にダンサーとして映画に出演、18歳からはブロードウエイのショーに出演している。10年間ほどいろいろなショーで経験を積んだ後、タップの技術をかわれてモートン・グールドが作曲した「タップ・ダンサーとオーケストラのためのコンチェルト」にソロ・ダンサーとして出演、その後はアグネス・デ・ミルのカンパニーに加わって踊った。
振付家として活躍を始めたのは30歳頃からで、「シューストリング'57」でデビューの後、「オール・アメリカン」のレイ・ボルジャーのタップ・シーンで評判をとり、「ウォーキング・ハッピー」では『木靴の踊り』でミュージカル史上に残る傑作ダンス場面を振付けた。その間テレビでも、マーサ・レイ、レイ・ボルジャー、スティーブ・アレン、ビング・クロスビー、ダニー・ケイ、ペリー・コモなどのショーの振付を担当した。
70年代に入ると家族と一緒にハリウッドへ移り、ダンス学校を開いて教えていたが、80年代に再びタップのブームとなると、あちこちに呼び出されて映画「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」に続き、「タップ・ダンス・キッド」を振付けた。この振付でダニエルズは84年のトニー賞を得た。この「タップ・ダンス・キッド」では、彼の息子D・J・ジアーニが本名で共同振付を担当している。カエルの子はカエル、お父さんに負けない本物のフーファーになって欲しいと思っている。
天野 俊哉
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