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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.81 2008年追悼
今年の上半期、エンタテイメントの世界で多くの方々が亡くなりました。ダンス界では偉大なタップダンサー、Dr. ジミー・スライドと振付師の県洋二先生。映画の世界では、ロイ・シェイダー、チャールトン・ヘストン、リチャード・ウイドマーク、メル・ファラー、シドニー・ポラック監督などのビッグ・ネームが並んでしまいました。

☆Dr. ジミー・スライド
ジミーに関しては、交友のあった多くの方々のコメントを読んでいただく方が良いかも知れません。私は一観客として映画と舞台で接しただけにすぎません。現在入手できる映画「コットン・クラブ」「TAP」などのDVDでジミーの魅力を味わえます。WOWOWが開局した時に放送された「BLACK AND BLUE」の舞台映像も今となってはお宝になってしまいました。CDでしたらディスク・ユニオンの中古コーナーで見かけます。ジミーのすばらしいソロナンバー“Stompin at the Savoy”をそっくり聴くことができます。
JAM TAP COMPANYの公演で来日した時、本当に楽しそうに踊っているジミーを観て、とても幸せな気持ちになりました。もう、あの笑顔を見られなくなったなんてとても寂しいです。

☆県 洋二
日本でのレヴュー全盛時代にSKDから日劇、そして宝塚で振付師として活躍されたのが県先生。先生はダンサー出身ではなく、最初から振付師としてスタートしたとか。日劇ダンシング・チームによって踊られた“ビギン・ザ・ビギン”が先生の最高傑作と言われています。
ひばり・チエミ・いづみ3人娘映画のDVDで素晴らしい振付作品を観ることができます。私世代が誰でも歌えるザ・ビーナッツの「モスラの歌」。インファント島の原住民達の踊りも先生の振付でした。
また、県先生は、昨年亡くなった山田卓先生と共にジャズダンス協会の発足に貢献されました。日劇出身の神埼一人先生が演出されたステージに私も出演させていただいた時、県先生とお会いしたことがあります。とても背が高くダンディーで、やさしい笑顔とソフトな話し方がとても印象的な方でした。

☆ロイ・シェイダー(米俳優)
ロイ・シェイダーと言えば、天才振付師ボブ・フォッシーの自伝的ミュージカル「オール・ザット・ジャズ」。“It's Showtime, Fox”でニヤッと笑って鏡の前でつぶやくイキなジェスチャーがどのミュージカル・シーンよりも魅力的でしたが、どちらかと言うとドラマの役者さんでした。
奥さん役のグウェン・バートンと女の子が、黒レオタードで彼の前で歌い踊る、“Everything is Old New Again”のナンバーがとても素敵でしたね。

☆チャールトン・ヘストン
ハリウッドが生んだ最後の大物スターでありながら、近年、全米ライフル協会の会長を務めたことから、マイケル・ムーア監督の映画で攻撃され、損な役回りをさせられた感があります。「ベン・ハー」「十戒」「猿の惑星」など、ヘストンの映画と言えば、大ヒット確実と定評がありましたが、私はオーソン・ウエルズ監督のカルト映画「黒い罠」でのヘストンの抑えた演技がとても記憶に残っています。

☆リチャード・ウイドマーク(米俳優)
車イスに乗った女性を、ケラケラ笑いながら階段から突き落とす男、それがデビュー作でのウイドマークでした。ハリウッドには、ハンフリー・ボガードをはじめ魅力的な悪役俳優がたくさんいましたが、ウイドマークこそは戦後の代表でした。クセのある役柄が多かったのに、離婚暦ゼロというハリウッドでは珍しい経歴の持ち主でした。ジュネス企画やフォックス発売のクラシック映画で彼のギラギラした演技が観られます。

☆シドニー・ポラック
GWに日本で公開された「モンテーニュ通りのカフェ」。トラブルメーカーの女優がパリのカフェで初老の映画監督にバッタリ。「あなたのあの映画・・・そうそう『タクシー・ドライバー』最高でしたわ」と女優。「いや、あれは(マーティン)スコセッシの映画だよ」と監督。これが何とポラック監督本人でした。何という楽屋オチ! !
「追憶」「愛と哀しみの果て」「出逢い」など、スラスラとタイトルが並ぶ名監督ですが、若い頃は俳優で、その頃の友人がロバート・レッドフォードであったことから、レッドフォード主演の監督作品が多くなったとか。

☆メル・ファラー
新聞の見出しが「オードリー・ヘップバーンの元夫」。気の毒なのは40年も前に離婚していること。90歳まで生きて「元夫」とは・・・。
ショー・ビジネスでは、スター女優である奥さんを使ってボロもうけする夫が、必ずえじきになります。歌手ドリス・デイの夫マーティン・メルチャー、偉大なエンタテイナー、シャーリー・マクレーンの夫スティーブ・パーカー(2人の娘サチ・パーカーが日本映画「西の魔女が死んだ」に出演)が有名ですが、メルもオードリーの映画を監督したりプロデュースしたことから批判の的となりました。
確かに俳優として成功はしませんでしたが、彼には「リリー」(1953 MGM)という名作ミュージカルがあることを多くの人が忘れています。レスリー・キャロンと名曲“ハイ・リリー・ハイ・ロー”をデュエットしたり、踊ったり、なかなか男っぽい魅力でキャロンと良いコンビネーションをみせていました。私はこの「リリー」を、昨年暮れに高田馬場の早稲田松竹で実に30年ぶりに観ました。まだDVD化されていませんが、とても良い作品なので機会があったら見てください。

と、追悼記をここまで書いたところで、今では「シベ超」で知られる水野晴郎氏が、6月10日に亡くなったというニュースが入ってきました。

☆水野 晴郎
水野氏は映画評論家であると共に、映画会社宣伝マン(ユナイトで007シリーズを担当)、TV映画解説者そして映画監督などマルチ・タレントぶりを遺憾なく発揮していました。 私にとって水野氏というと、インターナショナル・プロモーション(以下IP)。「隠れた名作を発掘して多くの映画ファンに観せたい」という想いで、水野氏が運営していた映画会社です。水野氏のキャリアでほとんど表に出ない部分であり、今回のマスコミの追悼記ことにも触れられていませんでした。
私は学生時代、次々上映されるIP作品を観に劇場に通いつめていました。前回のコラムで取り上げたジーン・ケリーの「カバー・ガール」をはじめ、オーソン・ウェルズ監督「上海から来た女」、ルネ・クレール監督「そして誰もいなくなった」、1949年アカデミー作品賞受賞「オール・ザ・キングス・メン」、アルフレッド・ヒッチコック監督「バルカン超特急」「海外特派員」etc。これらは1970年代当時、すべて日本初公開作品でした。また、「カサブランカ」をはじめとするリバイバル作品も大人気でした。
そんな「IP作品の魅力」なる文章をキネマ旬報誌の「読者コーナー」に送ったところ、掲載はされなかったものの、「ジョルスン物語」や「テンプルの小公女」など、IP関連作品の試写状がなぜか気前良く送られてきました。ハガキの隅に“水野”というサインがあり驚いたものです。
水野氏は、ジーン・ケリーやフレッド・アステアのミュージカルを輸入したことでもわかる通り、大のタップ・ファンであり、1983年正月の「日本テレビ新春かくし芸大会」で、タップダンサー・デビューする夢を実現させました。その時の相手役が何と私達の佐々木隆子先生でした。「ビギン・ザ・ビギン」「ピンク・バンサーのテーマ」「男はつらいよ」「独裁者」「刑事コロンボ」など、名場面集をタップで演じたのです。「ホントにヘタなんだけど、すごく楽しそうに踊ってくれて」と笑いながら隆子先生。お二人の笑顔がタップよりもキラキラしていました。今頃、天国で再会しているはずです。

皆様のご冥福をお祈りいたします。

天野 俊哉





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