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Vol.795 バディ・デ・フランコ追悼〜クラリネットのスタープレイヤー
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《スイング時代からモダンジャズ時代を生き抜いたクラリネットのスタープレイヤー》
昨年のクリスマス・イヴにクラリネットのスタープレイヤーのバディ・デ・フランコが亡くなりました。
私はタップの仕事を初めて直ぐの頃に、バディの「Buddy De Franco Plays Benny Goodman」を買いそのモダンな演奏を何度も繰り返し聴いていました。バディとベニーの共通点はクラリネットという部分だけに限られる様でした。
私の中でのバディは、アート・ブレーキーやケニー・ドリューらとプレーをするモダンジャズの世界の人という印象でした。
バディと私は20代の若き日に同じ様な理由で師匠を激怒させる、という失敗をしています。
バディの師匠はバンドリーダーのトミー・ドーシー、私の師匠は佐々木隆子先生。
トミー・ドーシー楽団には“Opus#1”というミリオンセラーを記録した大ヒット曲があり、楽団のメンバーは必ず譜面通りに演奏をする事が義務づけられていました。ある日の演奏で、若いバディは自分のソロパートを少しだけ変えて演奏してみました。
演奏が終わるやいなや「何だ!今の演奏は」と激怒するトミーに対し「そんなの進歩的なやり方じゃないよ!」とバディ。「進歩的なやり方をしたいなら、何処かよそでやれ!」とトミー。
私がいたスタジオには「ソフトシューズ」という振付があり“浪路はるかに”という曲とセットになっていました。早くにこの踊りに飽きた私は自分のソフトシューズを勝手に作り、それを一目見た師匠は「こんなのソフトシューズじゃない!」と激怒してスタジオから出ていってしまいました。
この時、私の振付で踊らされていた(気の毒な)阿部さんは「自分の踊りが気に入ってもらえなかった!」と勘違いし凄いショックを受けていましたっけ。
バディと違って「よそでやれ!」とは言われませんでしたが、少しだけ反省しました。
さて、この共通のエピソードを知ってからバディには大変親近感を持つようになりました。
バディがトミー・ドーシー楽団にいた頃には、他にもモダンジャズ時代を生き抜く事になるピアノのドド・マーマロッサやドラムのバディ・リッチがおり、楽団が1944年のMGM映画「Thill of a Romance」に出演した時にトミー・ドーシー監視のもと皆で楽しそうにジャムセッションをさせてもらってます(写真参照)。
バディ・デ・フランコのご冥福をお祈りいたします。
天野 俊哉
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