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Vol.766 生誕100年オーソン・ウェルズ〜俳優は声が命
 映画史上の名作として名高い「市民ケーン」を監督・主演したオーソン・ウェルズが生誕100年を迎えます。
 残念ながらオーソン・ウェルズ(以下OW)はミュージカル映画でタップを踏んだという経験はありません。
 私が中学年の頃、映画雑誌に「雨に唄えば」のダンサーが東京に現れた!という記事が。シド・チャリースの後でコインをはじいていた顔に傷のある男の役を演じた俳優を覚えていますか?彼がブロードウエイで「80日間世界一周」という大変お金のかかったミュージカルに出演した時、全米大手新聞の悪評により故意にその舞台が失敗させられたエピソードを語っていました。そんな事があって良いものか?私はショックを受けました。
 この全米マスコミを敵にした演出家こそがOWでした。26歳の若さで作った映画「市民ケーン」のせいでアメリカを敵にまわしたOWに凄く興味を持ちました。
 やがて外国のテレビショーや英会話教材のCMで観たリアルタイムのOW(60歳頃)はフグみたいに太り、顔中髭だらけ、いつもパイプをくわえてゲラゲラ笑っていて凄い映画人には全く見えませんでした。たった1つ印象的だったのが低くて渋い声でした。
 やがてテレビ劇場で「市民ケーン」放送されましたが、テーマである〈ローズバッド〉という謎の言葉の真意を理解出来ませんでした。このいささか不名誉な事がOWにはまるきっかけとなりました。新聞王と言われたランドルフ・ハーストをモデルにしたマスコミの腐敗を暴いたスキャンダラスな内容はスリリングでした。この映画のOWは、私が知ってるフグみたいなおじさんではなく、スマートで魅力的な若者でやはり声が良かった。
 やがて映画館で「市民ケーン」が上映され飛んで行きOWのまるでマジックの様な演出にがく然としました。テレビでは得られなかった映像の魅力に引き込まれてました。すぐにリタ・ヘイワースが主演したOW監督のミステリー「上海から来た女」が日本で初公開されたりしました。
 ただ不思議だったのは、テレビの映画劇場で観た文芸作品「ジェーン・エア」に主演していたり、「黒ばら」なんてつまらない剣劇で悪役を演じるOWでした。これは全て映画や先の舞台で背負った多額の借金を返済する為に仕方なく出演したとの事。なるほど。
 そんな借金返済の中で出演したイギリスのキャロル・リード監督作品「第三の男」は全てが見事でした。
 観覧車の中でのジョセフ・コットンとのやり取りがセリフの面白さと共に絶妙で、やはりOWの声のトーンに酔いました。
 ハリウッド映画界を牛耳っていたアンチOWの筆頭であったハーストの新聞やルエラ・パーソンズの様な悪徳コラムニストの勢力が落ちた1950年代以降、OWにも自由に映画製作が出来る時代が来ました。「黒い罠」や「審判」など難しいけれどもOWらしい作品が嬉しかったです。
 日本では英会話教材のせいでOWはかなり知られた存在でしたし、製作途中で挫折した未完の作品までもが劇場公開されたりしました。またビデオではOWがマレーネ・ディートリッヒ相手に魔術を披露する「Follow the Boys」の様なミュージカル映画も観れました。
 現在では「市民ケーン」も「第三の男」もDVDとして所有出来る時代。何度も観ている、しかもドラマなのに繰り返し最後まで観てしまう一番の理由はやはりOWの声にあるのかも知れません。昔「人形は顔が命」というCMがありましたが、映画のオーソン・ウェルズを観ていると「俳優は声が命」と強く感じずにはいられませんね。
写真右 上から
「市民ケーン」を撮った頃のOW
「映画づくりでいつも目ざしているのは『完璧』」とウィスキーのCMで語っていた頃のOW
「黒ばら」でタイロン・パワーと
写真上 左から
「ジェーン・エア」でジョーン・フォンテインと
「上海から来た女」でリタ・ヘイワースと
「黒い罠」で監督・脚本と老刑事役を務めたOW
「黒い罠」トリビア1
ユニヴァーサル・ピクチャーズが主演のチャールトン・ヘストンと出演交渉した際にヘストンが「ウェルズを監督に起用してはどうか」と勧めたため、OWが監督も担当することになった。
「黒い罠」トリビア2
当時それ程太っていなかったOWは巨漢の老刑事を演じるために特殊メイクを施し体中に詰め物をして、できるだけ体が大きく見えるようにローアングル気味で映った。

天野 俊哉




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