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Vol.685 生誕100年ドロシー・ラムーア〜衣装代のかからないミュージカル女優
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「誰?それ」Y'sコラム私物化反対同盟の皆様からのお叱りの声が聞こえて来そうです。さらに「衣装代がかからないなんて、そんなワイセツな!」と、淺野リーダーから掲載ストップがかかるかも知れません。
生誕100年を迎えるドロシー・ラムーアは、1931年のミス・ニューオリンズから歌手に、そしてハリウッドのパラマウント映画会社のトップ女優として1936年から1950年代まで活躍しました。
ドロシーは映画会社から、サロン女優なるイメージを創られました。デビュー作品「ジャングルの女王」では女ターザンの様な薄い、露出度の高い衣装を着て、ジャングルでチンパンジーを連れて生活をする現地人の娘。映画が大ヒットしたため同じ様な映画が創られ、同じ様な衣装で、同じ様な役柄が続く事に。凄いのが役名で、ウラ・マラナ・トゥーラ・マヌエラ・ミン・デア・ロナ・ララetc.こんなのばっかり。
私がドロシー・ラムーアの名前を知ったのが映画好きの父に薦められて観た珍道中映画でした。これはパラマウントが誇る人気歌手のビング・クロスビーとコメディアンのボブ・ホープがコンビを組んだシリーズです。アフリカ、モロッコ、アラスカ、南米、バリそして最後は宇宙まで出掛けて行きましたが、このヒロインが全てドロシーだったのです。
決して美声ではありませんが、独特の声で映画で披露した「マナクーラの月」「タンジェリン」「アイ・リメンバー・ユー」「サンディ・マンディ・オア・オールウェイズ」など大ヒットした曲が多くて驚きます。そう言えば昨年タップの舞台でも、浦上雄次君がドロシーの歌った美しいバラード「ムーンライト・ビカムズ・ユー」を自分のソロナンバーとしてセレクトしておりましたね。
ドロシー・ラムーアが自分の女優人生をどう感じていたか?残念ながら私は知りませんが、引退後ファッション評論家になったという記録からすると、現役時代は常に「あら、あのエキストラの子、いい衣装着てるじゃないの?」みたいにドレス姿洋服姿の女優達を羨ましく思い、ファッションチェックをしながら撮影にのぞんでいたのではないでしょうか。
天野 俊哉
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