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Vol.674 「On the Town」日本初上陸その2〜ちょっとウンチク
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「On the Town」
1944年12月28日初日 463回上演
作曲/
レナード・バーンスタイン
作詞・台本/
ベティ・コムデン&アドルフ・グリーン
原作・振付/
ジェローム・ロビンス
演出/
ジョージ・アボット
出演/
ソノ・オーサト
ナンシー・ウォーカー
ベティ・コムデン
アドルフ・グリーン
実はこの人達、連載コラムが書けそうな顔触れなのですが、今回は短めにまとめなければ。
まず、当時ブロードウエイで名前が通っていたのは演出家アボットだけ。
他の人達は20歳越えたくらいの商業演劇を知らない若者、しかもその多くがユダヤ人でした。
バーンスタインとロビンスに関しては山程の資料があるので除外するとして、私が取り上げたいのが、コムデン&グリーンのコンビ。
1930年代にバーンスタインによって発見された時、未来の天才脚本家コンビは、フリーターでありました。初の大きな仕事が「On the Town」の作詞と主演キャストのコンビ。
舞台とMGMミュージカルで大活躍し、代表作は「私を野球に連れてって」「踊る大紐育」「雨に唄えば」「バンド・ワゴン」etc.これらの作品の脚本と作詞を担当しました。
名作「雨に唄えば」の余りにユニークな“Moses”の歌詞を書いた人達デスよ!と言うだけでその奇才ぶりがわかるはず。コムデン&グリーンのコンビは、2002年にコムデンが亡くなるまで60年近く続きました。
そもそも「On the Town」は1944年の4月にニューヨークのメトロポリタン・オペラ・ハウスで上演された「ファンシー・フリー」というジェローム・ロビンス振付の25分間のモダンバレエからスタートしました。
これを舞台ミュージカル化する際に、すでにMGM映画が映画化権利を買っていたそうです。
衝撃的だったのは、第二次大戦中のアメリカで敵国の日系アメリカ人であるソノ・オーサトが主演に選ばれた事。
さらにコーラスのダンサーは白人と黒人のごちゃまぜであったとか。
人種無差別な進歩的な作品、それが1944年の「On the Town」だったのですね。
つづく
写真右
上:ブロードウエイアデルフィ劇場で初演された「On the Town」
中:創作中のコムデン&グリーン。伴奏はバーンスタイン。隣にロビンス
下:映画版で主演と監督を務めたジーン・ケリーと
写真下
左からジョージ・アボット、コムデン&グリーン、ソノ・オーサト
天野 俊哉
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