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Vol.672 ハリウッド映画女優ローレン・バコール追悼〜名著「私一人」
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1940年代から50年代のハリウッド映画で活躍、当時のビッグスター、ハンフリーボガート夫人だった女優ローレン・バコール(以下愛称ベティ)が先月亡くなりました。
ミュージカル映画への出演が無いので、取り上げる予定は無かったのですが、最近あちらこちらの古本市で必ず出会うのが、彼女の自叙伝「私一人」(文藝春秋1984)。もう書かざるをえません。
ベティは、前回のコラムで取り上げた《コロンビア映画》の、しかも「カバーガール」で映画デビューする予定でした。ファッション雑誌ハーパース・バザーのモデルだった事からオファーが来ましたが、映画出演と引き換えに、ハリウッドの奴隷制度とも言われたコロンビア映画会社との7年契約が突き付けられました。
「そんな契約辞めなさい。私がワーナー映画で面倒をみてあげよう」と声をかけてきたのがハリウッドの名監督ハワード・ホークスでした。当時、ホークス監督がワーナーで撮る予定だったハンフリー・ボガート(以下ボギー)主演「脱出」の渋い!相手役を探していた監督は、ベティをキャスティングするプランを立てていたのです。
ベティはこの名作に主演しスターの仲間入りをしただけでなく、かなり年上だったボギーとも結婚、二人は名コンビとして数本の作品で共演しました。
先の自叙伝「私一人」でもボギーとの短い結婚生活にポイントが置かれており、特に彼の亡くなる数日前から亡くなるまでの文章が壮絶です。
私は若い頃に読んで「人が死ぬ時ってこういう状態になるんだ」と大変なショックを受けたものです。
さて、ハードボイルド映画のヒロインとしてスタートしたベティ女優としてのキャリアは決してスムーズではありませんでした。
ところが、ベティにとっての快挙は1970年にやって来ます。ハリウッド映画の名作「イヴの総て」をミュージカル化した「アプローズ」でブロードウエイ主演を。800回を越す大ヒットを記録しました。日本では1982年劇団四季で上演し、ベティの役を実力派の前田美波里さんが演じました。
かなりのハスキーボイスだったベティがどの様にブロードウエイで歌いきったのか?残念ながら分かりませんが、自叙伝では舞台での写真が掲載されていましたね。
現在、書店で売られているコズミックの安いDVDセットには「ハンフリー・ボガート作品集」があり、ボギーとベティ夫妻共演の「三つ数えろ」が収録されています。
またベティの自叙伝「私一人」は日本ではかなり売れた本なので、BOOK・OFFで良く見かけますので、興味のある方は読んでみては?
ローレン・バコールのご冥福をお祈りいたします。
天野 俊哉
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