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Vol.534 わざわざ撮り直していた時代
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映画「アーティスト」「雨に唄えば」をご覧になった方ならば、1920年代後半まで映画は音の無いサイレントであった事を良くご存じですよね。1927年の「ジャズ・シンガー」以降、音の入ったトーキー映画の時代になり今日に至ります。
そんなトーキー映画初期の苦労話の1つに、映画の輸出先の国の言葉での撮り直し(セットは同じで)がありました。今なら字幕を入れたり、吹き替える所ですが、まだ技術的に未熟だったのです。
アメリカ映画ならば、フランス語版・ドイツ語版・スペイン語版などを用意していました。勿論全ての作品ではなくて、外国でのヒットが見込めるホラー・コメディ・アクション作品に限られていましたが。
トーキー初期のMGM映画で活躍していた喜劇のバスター・キートンの作品は上に挙げた国をはじめ日本など東洋圏でも大ヒットしていました。
よってバスターはアメリカ版のテイクがOKになると、監督と相手役がフランス人に入れ替わり、バスターはフランス語でもう1度演技をしてフランス語版の撮影にのぞみました。それが終わると再び監督と相手役がドイツ人に入れ替わり今度はドイツ語版というとても大変な作業でした。
この役者が替わる事は基本失敗しているのですが、1930年代アメリカのユニバーサル・スタジオで作られた「魔人ドラキュラ」のスペイン語版に登場するドラキュラ伯爵の《狂気な下男役》は本役を上回る熱演でした。多分スペインが、アメリカよりも過剰な演技に対する倫理観が緩かったからでは?というのが私の見方です。
では、ドラマではなくミュージカル映画の場合はどうだったのでしょうか?
最近YouTubeでフランス人の歌手モーリス・シュバリエがハリウッドで主演した「シュバリエのパリっ子」(1935)のフランス語版を見つけました。
彼の場合、英語の歌もフランス語の歌も器用にこなしていましたが、映像で観ると何処と無くたどたどしい英語よりもフランス語で歌う姿の方が当然の事ながら魅力的に見えました。
天野 俊哉
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