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Vol.475 YouTubeで観るシャーリー・テンプル
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アメリカの人気テレビシリーズ「奥様は魔女」が再放送されていますが、ママのサマンサと娘のタバサという名前からあの有名ブランドが誕生した!というのはガセのようです。では、シャーリー・テンプルはどうなのでしょうか。このコラムを読まれている方はシャーリー・テンプルと聞いて浮かぶのはノンアルコールカクテル?それとも最近倒産した子供服のブランド名?今回は、多分その語源になったアメリカの映画女優で政界進出までした元祖シャーリー・テンプル(以下ST)を取り上げたいと思います。
20世紀FOX映画社の映画を様々な角度から取り上げるテレビシリーズ「ザッツ・ハリウッド」のエピソードでSTの映画に興味をもち、ハリウッドに行った時、STに関する本やビデオを沢山買い込んできました。
1930年代、FOXを倒産から救った彼女が5歳から12歳までに作られた映画はどれもがワンパターンです。会社お抱えのB級監督作品で、上映時間は70分程度。役柄はほとんどが孤児で、最後には幸せになるか、幸せにさせるかの役柄。そう、ちょうどアニーみたいなお話ですね。それでも全世界で大ヒットしたそうです。日本では、タイトルの前に必ず「テンプルちゃんの〜」と付くのでした。私の興味は、ミュージカルナンバーと大人の相手役達に限られていました。STがその後の子役と決定的にちがっていたのがタップダンスの実力でした。
よってタップの振付師もパートナーも一流。その代表が、ビル・ボージャングルス・ロビンソンで4本の作品でデュエット。ステアタップ、シムシャム、ミリタリーなどで息の合ったナンバーが残りました。物凄い身長差でユニークに踊ったバディ・エブセン。アステア&ロジャースを目指してスマートに踊ったジョージ・マーフィー。変わった所では西部劇俳優ランドルフ・スコット、コメディアンのジミー・デュランテ、ジャック・ヘイリー、ジャック・オーキーそして歌手のアリス・フェイなど。専属制の時代でなかったら、もっともっと相手役の幅がひろがっていたと思います。
1940年代になると小さい時のあまりに可愛いイメージのせいで、かなりのルックスだったにもかかわらず役に恵まれず。それでも、クローテッド・コルベールとの「君去りし後」、ジンジャー・ロジャースとの「恋の十日間」など良い作品もありました。
1950年代になるとテレビの世界に移ります。そして1960年代には、政治家として活動していたかつての共演者ジョージ・マーフィーやロナルド・レーガン(後のアメリカ大統領)の後押しにより政界進出しました。現在、80代ですがお元気との事です。
彼女の自叙伝は日本でも発売され、私もすぐに購入しましたが、あまりに綺麗事でなさすぎてびっくりしてしまいました。
幼少の頃大好きだったボージャングルスとの再会のつらいエピソードは涙をさそいます。
ダンスナンバーでの撮影秘話など俳優時代の記憶力もさることながら、実名丸出しの男性関係の記述はそこらの週刊誌の何十倍もの面白さ。おっと、これ以上書くと削除されてしまうので、興味のある方は古本屋か古本市などで探してみてください。
彼女のダンス映像及び映画本編の多くは、YouTubeで観ることが出来ます。ぜひ皆さんも動くシャーリー・テンプルにふれてみてください。
天野 俊哉
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