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Vol.419 ザ・ベストテンと隆子先生の思い出
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門下生による「佐々木隆子先生の会」まで残すところ1ヶ月半となりました。
7月に入り淺野・橋爪両名も合同作品の振付への参加がスタートしました。
さて久々に書店で2冊の本を購入しました。あの伝説の音楽番組TBS「ザ・ベストテン」について書かれたものです。本に関しては、また機会をもうけるとして、今回は9月公演の応援コラムとして、「ザ・ベストテン」と隆子先生の思い出を。
先の本には番組で歌われたすべてのリストが収められており私などには懐かしい曲名がズラリ並んでいます。当時、TBSの演出部にはETさんという隆子先生と親しい方がおり1980年に初めてETさんから先生に声がかかりました。
「ハッとして!Good 」
この年にジャニーズ事務所からデビューした田原俊彦さんの2曲目「ハッとして!Good」がそれで、スインギーなメロディーがタップダンスにぴったりでした。メルヘンチックなセット、白のタキシードを着た少女4人が田原さんとステップを踏みました。(1980.10.9)
その後、田原さんのこの曲は4週連続でベスト1に。再び隆子先生にオファーがきました。スタジオには大きなシルクハットがおかれうたの半ば「君と出会う〜」あたりから、それが真っ二つに割れダンサーズが飛び出してきます。当時の佐々木スタジオの大先生方5名に何と隆子先生までもが加わった畏れ多い顔ぶれ。この時、衣装として着ていた赤と白のストライプベストが後々「エントリーアクト」でのブルーチェリーズの衣装になりました。(1980.11.13)
「渚のシンデレラ」
隆子先生は、カルチャースクールでのジャズダンスクラスを大成功させていました。佐藤先生も淺野も隆子先生のジャズダンスクラスからスタートしています。
撮影所の隣にあった大船のカルチャースクールの生徒さん達がクラスで習っていた振りをそのまま踊ってしまったのが、柏原よしえさんのサマーソングでした。テレビの様に短期間で振り付けを仕上げるのに先生のこのやり方は本当に見事でした。踊っている方達が楽しそうでした。(1982.5.27)
「エル・オー・ヴィ・愛・N・G 」
1982年夏にヒットした田原さんの「NINJIN娘」には、タップのサウンドが入っていたのに隆子先生には声がかからずとても残念がっていました。映画の主題歌でもあった1983年秋に発売された「エル・オー・ヴィ・愛・N・G 」はあまりタップ向きではありませんでした。ところがオファーがきたのですね。残念ながら先生方に加え生徒も加えた8人に与えられた、短期間で覚えるには複雑すぎる振付とNG続出のダンスは演出サイドの期待に応えられませんでした。(1984.1.19)
このすぐあとに発売された田原さんの「チャールストンにはまだ早い」などは絶対タップダンスしか考えられない曲だったので、先生はよけい先の失敗を気にしていました。ちょっと「ザ・ベストテン」からはなれますがこの年の2月にテレビ東京の「ヤンヤン歌うスタジオ」から隆子先生にオファーがきました。それが「チャールストンにはまだ早い」だったのでとても喜んでいました。しかも、ジャニーズ事務所の社長さん直々だったそうです。
この頃、ジュニアでテレビに出せるレベルの子は3人位でした。田原さんと踊る子は4人で、残念な事に、この無理なキャスティングでTBSの時と同じミステークをしてしまいました。1980年代に発売された田原さんのビデオには、このシーンが収められているので今でも観ることが出来ます。YouTubeでは、TOSHI 1984−1986」の最初に収められています。
隆子先生が振付をされた「ザ・ベストテン」の映像は残念な事に今現在YouTubeでも観ることが出来ません。
「ザ・ベストテン」の本のページをめくりながら、隆子先生と語りあった時代を思い出してしまいました。
天野 俊哉
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