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Vol.411 イベント全盛期の記録その2
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横浜博 1989年8月27日(日)
6月30日に長男、勇介君を出産した隆子先生。赤ちゃんと退院してすぐにこの横浜博の構成とキヤスティングを。
8月5日、私の教室の発表会に応援で出てくれていたのがまだ新人時代の淺野(旧姓美濃)でした。私と行動を共にしていれば先生に捕まる事は必至、横浜博のスタッフとして白羽の矢が。インストラクター達のミーティングで「美濃さんお願いね」と先生から言われてイヤな顔ひとつせず2つ返事で「はい」と答えた彼女の表情を今でも良くおぼえています。横浜博に関して、私のメモにはこうあります。たった3週間の出来事だった様で、
8月6日(日)2:00〜6:00
振付(1)佐々木、天野、美濃
8月9日(水)12:00
天野、美濃
8月14日(月)日本テレビ音学院リハ1:30
佐々木、天野、美濃
8月18日(金)
美濃
8月20日(日)三越イベント4:00からリハ
8月23日(水)1:00東宝芸能打ち合わせ
佐々木、天野。蒲田リハ美濃
8月25日(金)ドレスリハ
8月27日(日)横浜博11:15桜木町ゲートetc.
前も書きましたが、淺野はこのイベントで若き日の大切なひと夏をつぶしましたが、Y'sのリーダーとして活躍する現在の姿をみると、(この時初めて)隆子先生とガッツリタッグを組んだ事で得たものはとても大きかったとおもいます。大変な経験ほど人を育てる、それが隆子先生のやり方でした。つづく
天野 俊哉
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