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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.403 横浜港まつり1986
 旧ソビエトでチェルノブイリ原発事故があって間もなく1986年のGWに行われた横浜港まつり。銀座博品館劇場での隆子先生のリサイタル直後だった為、スタジオのメインキャストがほとんど不参加という最悪の条件のなかスタートする事に。リーダーには私の同期SAが、20名のダンサーの中には今でもTRBタップダンススタジオで活動中のUAさんがいました。ダンサーといっても実はカルチャースクールで私や隆子先生が教えていた10代前半の子たちが半数をしめてました。私達が配属されたのが天下のルミネの車両。イベント会社のスタッフ、ルミネの重役の方々が、わがダンサーズを視察に来て、青ざめたまま無言で立ち去った日の事を昨日の事の様に覚えています。
 さて、当日は雨。そう放射能の雨が降ると言われたその日だったのです。しかも先生は不在で、若干25歳の私と平均年齢がおそらく10代だったであろう20名によるルミネ号は出発しました。横浜のはずれにある倉庫から次々町に車が出て行きます。他の島屋とかビブレとかのダンサーはまさしくプロのダンサーでした。
 私のところは赤のレオタードで、幼児体型しかも笑顔がひきつっている。歩道の観客が少なく、山下公園に到達する前に、強く叩きつける雨に女の子達のメイクは落ちて濡れネズミに。さすがに落ち込みかけた時、なぜかルミネ号にはカメラを持った男性の追っかけがたくさん集まってきて、わが素人ダンサーたちもニコッと笑顔でポーズをとれる様に。山下公園でのあまりにもすごい観客にダンスもエキサイト。
 追い討ちをかけたのが何とテレビカメラでした。あとでみせてもらったのですがわがルミネ号のタップダンスはほぼノーカットで生放送されました。横浜駅周辺ではもう優勝パレードの様な大群衆でした。
 イベント終了後、車はそのまま銭湯へ。彼女達が入浴中に、わがルミネ号が数あるパフォーマンスの中からベスト3に選ばれたニュースを聞きました。スタート前とはうって変わってヒロインとして凱旋したダンサーズは全員ルミネの当時の社長から握手を求められました。すべてが終って、あまりに大きな仕事を任された事を知った私は先生に感謝しました。このイベントに関わったことから、その後、何が起ころうとも対処できるノウハウを教えていただいたのです。

天野 俊哉




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