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Vol.392 ハリウッドのオペレッタスター、ディアナ・ダービン追悼
 1930年代倒産危機にあったユニバーサル映画社を救った事で知られるオペレッタ歌手のディアナ・ダービン(以下DD)が91歳で亡くなりました。
 子役時代はMGM映画社と契約していましたか、1936年に作られた短編映画「アメリカーナの少女」で競演したおなじく若手スターの卵ジュディ・ガーランドに差をつけられ、その結果MGM との契約を解除されてしまいます。その後、MGMよりもかなり格下で、しかも赤字続きのユニバーサル映画社に拾われます。当時のユニバーサルでの売り物は、フランケンシュタインなどの怪物を主役にしたホラー映画でした。その一方でブロードウェイ・ミュージカルの名作「ショウ・ボート」を映画化するなど意欲的な一面も持ち合わせていました。
 さて、DDにとってラッキーだったのは、プロデューサーのジョー・パスタナックとの出会いでした。若手スター三人を主演させた「天使の花園」に、DDをキャスティングしてマスコミを注目させました。そしてニューヨーク・フィルハーモニー・オーケストラの指揮者レオポルド・ストコフスキーを招いて製作された音楽映画大作「オーケストラの少女」で、DDは堂々の主役を演じ大スターの仲間いりをはたしました。映画の世界的大ヒットは、ユニバーサル映画社の倒産危機をも救いました。戦前の日本でも爆発的な大ヒットだったそうです。私の母がこの映画の大ファンだった事から、私は小さい頃テレビで何度も付き合わされたものです。
 DDにとって不幸の始まりは、恩人とも言えるパスタナックがMGM に引き抜かれてしまった事です。不出来な作品が続き、彼女の歌声だけが売り物というひどい状態でした。“Amapora”や“Always”など素敵な歌曲を聞くために、かなりつまらないストーリーにつきあいましたね。
 頭の良い彼女は、20代後半には芸能界から完全に引退してしまいました。この春に亡くなった時も、それが何日なのかがメディアによってバラバラだったのはそんな理由からなのでしょう。当然の事ながら日本のマスコミは見逃していましたね。
 ディアナ・ダービンのご冥福をお祈りいたします。

天野 俊哉




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