TAP DANCE LOGO
INSTRUCTORS
STUDIO : 戸塚スタジオ
NETWORK
SCHEDULE
EVENTS
COLUMNS
DANCE TEAMS
LINKS
OUR MASTER : 佐々木 隆子
COLUMNS

Vol.387 旅のコラム 卒園した幼稚園を訪ねて編
 最近、妙に昔のことが懐かしくて、卒園した幼稚園を訪ねてみたいと思っていることを母に言ったら、笑いながら「年を取った証拠よ」と言われました。そんな訳で一日だけお休みをもらって、父の仕事の都合で幼稚園に通う二年間を過ごした名古屋に行ってきました。
 せっかくなので、名古屋に嫁いだPure Jewelsのメンバーと会いました。お昼の味噌煮込みうどんを食べながら、お互いの近況報告をして楽しいひとときを過ごしました。遠く離れてもメンバーががんばっていることがうれしかったです。
 彼女と別れて、事前に調べたルートで卒園した幼稚園に向かいました。幼稚園の記憶は、“おおすようちえん”という名前で庭がとても広かったことと、担任のU先生とN先生の名前だけでしたが、スマホ上の地図を頼りに進むと園児たちの遊ぶ声が段々近づいてきました。広い通りに出ると、お寺の本堂が見えて門越しに園児たちが元気に遊んでいました。仏教系の幼稚園だったし、門にも大きく“大須幼稚園”と書いてあります。辿り着きました。記憶よりもずいぶん庭が狭く見えましたが、小さい時は広く見えたのかもしれません。門越しに若い先生に声を掛けて事情を話すと、「え〜っ!本当ですか?」と、とても感激してくれて中に入れてくれました。園児たちの「だ〜れぇ?」に「みんなよりもずーっと前にここに通っていた“おねえさん”よ」と気を遣ってくれて、園長先生を呼びに行ってくれました。その間、庭や園舎を見渡しながら、かすかな記憶をたぐり寄せていました。
 やがて園長先生が現れたので挨拶してお話を聞くと、私が通っていたウン十年前当時も園長先生を務められていたとのことで、訪ねたことをとてもよろこんでくださいました。ただ、もっと庭が広く感じたことや担任がN先生だったことを告げると、増築もしていないので庭の広さは昔のままだし、N先生という先生はいたけど下の名前が違うとのこと。送迎バスで通っていたことを話すと、私が告げた地域までは昔も今もバスを走らせていないとのことで、なんだか話がかみ合いません。しばらくすると園長先生がはっとした顔で、「もしかしたら、“おおす”じゃなくて、“おうす”じゃありませんか?」「えっ!」「ちょっと待っててくださいね。今、地図を持ってきますから」。そのやりとりを見ていた園児たちは、小さくても何かが起きていることは分かるようで、さっきの若い先生に「おねえさん、どうしたのぉ?」と聞いていました。若い先生は返事に困ったようすで苦笑いしながら「だいじょうぶよ」と、答えになっていない返事をしていました。またしても気を遣わせてしまい申し訳なかったです。
 程なくして園長先生が大きな地図を持ってきてくれました。下駄箱の上に地図を広げられ、「こちらの幼稚園なら庭も広いし、あなたが住んでいたところまでバスを走らせているはずですよ」と、指をさしてくれた所には“小碓”と書いてありました。やってしまいました。私は“小碓幼稚園”と間違えて“大須幼稚園”を訪ねてしまったのでした。園長先生は笑顔で「幼稚園は違っていても、何十年も経って遠いところから訪ねてきてくれて、とてもうれしいですよ」と、優しい言葉を掛けてくださいました。うれしかったです。園長先生と若い先生方と元気いっぱいに手を振る園児たちに見送られながら、大須幼稚園を後にしました。なんだかとてもあたたかい気持ちになりました。
 とんだ間違いでしたが、これも何かのご縁なので大須観音をお参りして感謝の気持ちを伝えました。
 気を取り直して、園長先生に教わったルートで小碓幼稚園に向かいました。
 目的地の駅で下車して20分くらい歩きました。今度は間違いないはずなんですが、景色の記憶が全くないので心もとありませんでした。かなり近づいているはずですが、もうだいぶ日が傾いていたので園児たちの遊ぶ声も聞こえてきませんでした。角を曲がると、さっきと同じようにお寺の門が見えて胸が高鳴りました。お寺を通り過ぎると、柵越しに静まりかえった広い庭が見えました。「ここだ!」と思った瞬間、涙があふれてきました。「色は変わっているけど、この建物だ。この広い庭で運動会で走った。遊具もあそこにあった」。さっきはたぐり寄せても繋がらなかった記憶が次々に繋がってきました。懐かしくてしばらく庭を眺めていると、片付けで忙しそうにされている園の方が声を掛けてくれました。こんなことってあるんですね、その方は年少の時の担任のU先生でした。 年長の時にとても可愛がってくれた担任のN先生とは、成人になる頃まで年賀状や文通をさせて頂いていたことをお話すると、現在は退職されて趣味を楽しまれながら元気にされているとのことでした。そのお話を聞けただけで胸がいっぱいになりました。踊ることの楽しさをおぼえたのもN先生のことが大好きで「私も先生になりたい」と思ったのも、この幼稚園で過ごした頃でした。今、私がタップを踊っているのも先生と呼ばれる仕事をしているのも、ここで過ごした二年間があったからのような気がします。大袈裟かもしれませんが、私の原点です。母と一緒にもう一度訪れて、N先生に会いに行こうと思います。
 すっかり日が暮れて、たくさん歩いてお腹も空いたので、名古屋に戻って早めの夕食にしました。名古屋コーチン料理を堪能しました。とてもおいしかったです。
 夜のおつまみに昼間PJメンバーにもらった芋百珍の包丁切生剣先(けんぴ)を頂きました。お芋の甘さと塩味の組み合わせが絶妙でとてもおいしかったです。

淺野 康子




Copyright 2005 Y's Tap Dance Party. All rights reserved.