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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.342 エレノア・パウエル生誕100年 映画でもっとも成功した女性タップダンサー
 1935年ハリウッド・デビューしたエレノア・パウエル(以下EP)は、1950年に引退するまで、MGM映画を中心に14本のミュージカルに出演(10本の主演作と4本のゲスト出演作)しました。今日ではそのすべてをビデオ・DVDで入手することが可能です。また、パソコンを開けば彼女の詳しいキャリアを知ることができますし、You Tubeでは主だったタップ・シーンがすぐ観られます。今回は、いまのように便利なツールが無かった時代に、苦労を重ねてたどり着いた「私とEPの映画」の歴史について書いてみます。
 忘れもしない1975年3月、丸の内ピカデリーの大きなスクリーンで「ザッツ・エンターテイメント」(1974、MGM)を観たのが、EPのすばらしいタップダンスとの出会いでした。彼女の映画、そのたった14本の出演作を観るまでにかかった時間は、なんと20年!!
 その頃はビデオもDVDもパソコンも無い時代で、戦前の古いミュージカルを観ることは不可能でした。私よりも年長者で財力のある方は、16mmフィルムを輸入業者から買われていたようです(1本30〜40万円だったそうです)。「自主上映」という形をとって区民ホールなどで上映会が始まったのが1977年頃からでした。私がこうした上映会で、初めてEPの映画を1本完全な形で観たのが1979年、「踊る不夜城」(1973、MGM)でした。
 ここで2人のミュージカル・マニアの方と知り合い、次々と彼らのコレクションのお世話になって「踊るニュウヨーク」(1940、MGM)などを観たのが1980年。その一人M氏(松本晋一さんではありません。彼と出会うのはもっと先のことです)という方は、あの中川三郎先生のお弟子さんで、当時はTVや舞台の振付師でした。もう一人、S氏は後に劇書房から「ブロードウエイ・ミュージカル事典」を出版されました。
 1982年に行われた東京大丸百貨店での大々的なイベント「中川三郎展」では、M氏のコレクションの上映会があり、EPの「踊るブロードウエイ」(1935、MGM)もかけられました。三郎先生のお嬢さんで映画女優だった中川弘子さん、佐々木隆子先生、そしてフィルムをまわすM氏と一緒にEPを観る機会に恵まれました。実はこの時点でまだ、14本中5本でした。
 1980年代になると、アメリカで古い映画がビデオで発売され出しました。日本国内では大手メーカーの輸入ビデオしかなくて、値段は1本3万円もしました。MGMミュージカルもカラーの大作中心で、残念ながらEP作品はまったく登場せず。そこで、ニューヨークのビデオ店からカタログを送ってもらい、情報収集することに。驚いたことに、「Sensation of 1944」というタイトルが!! これはEPが小さな映画会社で出演した映画でした。毎年のようにニューヨークにレッスンに出かけていた隆子先生にお願いして、買ってきていただきました。どこのお店に行っても無いので、発売元の会社までわざわざ行ってくださったそうです。
 1980年代も後半になると都心のビデオ店に輸入ビデオが並ぶようになり、値段も1万円を切るようになりました。「Rosalie」(1937、MGM)を観たのはこの頃です。ビデオランド、石丸電気、すみや渋谷店などで売られていました。
 1990年代に入るとMGMミュージカルのビデオも5千円前後になり、かなりの種類が発売され、「踊るアメリカ艦隊」(1936、MGM)、「踊るホノルル」(1939、MGM)など、EPの主演作はほぼ出そろいました。
 そして、1996年のNTDで知り合った松本晋一さんのコレクションの中に、EPの(私にとっては)幻の2本、デビュー作「ジョージ・ホワイト・スキャンダル」と、ゲスト出演した「The Great Morgan」があり、ここで14本が完結しました。松本さんはEPの全14本に加え、MGM撮影所のパーティーで踊るEPのフィルムなども持っていて、そのディープさに圧倒されました。
 長い道のりでしたが、私と同じような気持ちで生きていたミュージカル映画のファンの方々と知り合えたことはすごい財産です。私は日記など書かないのですが、「いつ、どこで、だれと」観たか、ひとつひとつ記憶しています。たかが映画なのですが、それくらい大切なことがらだったのですね。

天野 俊哉




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