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Vol.335 生誕100年〜ジーン・ケリー俳優としてスタート〜
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「アメリカでしか購入できない」ワーナー・アーカイヴから先頃「歌い踊らないジーン・ケリー」のタイトルで戦争映画をはじめとする6本のドラマDVDがまとめて発売されました。その中には中学生の頃TVで観たジーン・ケリー(以下GK)監督、主演のコメディ「ハッピー・ロード」(1957)も含まれています。
今回の出来事を阿部久志さんに伝えると「それって『雨に唄えば』のあと?」との質問が。普通あのミュージカル・スターGKを知っている多くの方ならばそう思われるでしょうね。フレッド・アステアがミュージカル以外の作品に出演したのは、ミュージカル全盛期終了後の1959年(作品は「渚にて」)アステア60歳の時ですから。
ところがGKの場合、「ダンサー兼俳優」としてMGM映画と契約した専属俳優だったことからミュージカルと並行して多くのドラマに出演させられたのです。
1942年、ジュディ・ガーランドの相手役として「For Me and My Gal」でミュージカル・デビュー、軍服に着替えて「Pilot No.5」という戦争映画に出演した後、ルシル・ボールの相手役として「デュバリーは貴婦人」にミュージカル出演、再び軍服に着替えて「ローレンの反撃」という戦争映画に、そしてキャスリン・グレースンの相手役として「Thousands Cheer」にミュージカル出演という、デビューして2年で、かなりあわただしい俳優生活を送っていました。
アルフレッド・ヒッチコック監督のスリラー「逃走迷路」でのロバート・カミングの役、名作「王国のかぎ」でのグレゴリー・ペックの役も、最初にキャスティングされたのは、われらがGKでした。
第二次世界大戦中ということもあり、そのほとんどの作品で軍服を着ていたGKは「軍服が似会うハンサム・ガイ」という路線に乗り始めたことは確かでした(GKのあと、ヴァン・ジョンソンがそのポジションに付き、得意の歌と踊りを封印されてしまいます)。GKをどのように使って良いか迷ったMGMは大リーグでいうところのトレード(ただし一時的なもの)要員としてGKを利用することにしました。
1944年ユニヴァーサル映画「クリスマスの休暇」にディアナ・ダービンの相手役として、次いでコロムビア映画「カバーガール」にリタ・ヘイワースの相手役として貸し出されました。1944年最大のヒット・ミュージカルとなった「カバーガール」に主演したことと、この作品でGKはこっそりと振付を担当したのですが、それらのダンス・ナンバーがとても注目され、話題になったことで、一躍「フレッド・アステアのライバル」という扱いに。MGMに戻ってそのアステアと「ジークフェルド・フォリーズ」で競演、今日の「偉大なミュージカル・スター」としての第一歩を踏み出したのでした。めでたし、めでたし。
P.S. お盆に渋谷古本市で、ジーン・ケリーの映画写真集「The Films of Gene Kelly」を見つけました。中学生の時に今はなき銀座のイエナ洋書店で¥4,440で購入した本ですが、もうボロボロなので買いなおすことに。その当時はGKの数ある映画の中で「雨に唄えば」1本しか観たことがなかったので、どのページもわくわくしながらめくったものです。
天野 俊哉
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