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Vol.324 誰も知らない日本未公開ミュージカル
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最近、アメリカから古いハリウッド・ミュージカル映画のDVDをよく買っています。そのほとんどは、日本で上映されたことのないもので、よって作品の質も低いのですが、逆に発見も多く、ファンにはこたえられない魅力となっています。このコラムでもドナルド・オコンナーやアン・ミラーの日本未公開ミュージカルのことを書きましたが、他にもちょっと気になる作品がありましたので取り上げてみました。
その1
なぜか日本で公開されないフットボール・ミュージカル
日本では野球やサッカー人気に押されて昔から今ひとつ盛り上がらないスポーツに、フットボールがあります。アメリカには、フットボール映画というジャンルがあるくらいですが、日本で上映された映画は「勝負に賭ける男」「ロンゲスト・ヤード」「ジョーイ」「かけひきは恋のはじまり」など、ごくわずかです。これがフットボール(カレッジ)ミュージカルになると、1本も公開されていません。
戦後、日本でとても人気の高かったMGMのスター、ジューン・アリスンの「Good News」(1947)も、パラマウント映画のスター、ディーン・マーティン&ジェリー・ルイスの「That's My Boy」(1951)など、絶対ヒットしたはずなのに。たぶん「フットボールのルールがわかりづらい」みたいな理由で、公開を見送ったのではないでしょうか。
20世紀フォックス映画には、戦前、フットボール・ミュージカルのシリーズがありました。「Pigskin Parade」(1936)、「Hold That Co-Ed」(1938)、「Rise & Shine」などで、「Pigskin Parade」だけは、ジュディ・ガーランドが出演しているということから、日本でもビデオ発売されました。「フットボール・パレード」というタイトルで、新宿、渋谷のTSUTAYAでレンタルしています。
フットボール映画の面白さは、男同士が激しく体をぶつけ合う競技であることから、体の大きなプロレス部の学生を引き抜いてメンバーしたことに絡むエピソードがあったり、また、ある作品では、新しく赴任してきたコーチが、間違えてライバル校を訪ねてしまうなど、日本の青春ドラマ(「飛び出せ!青春」第1話)と同じギャグがあったりして、結構楽しめます。
その2
フレッド・アステア不在の「バンド・ワゴン」
1931年ブロードウエイで上演された、アデル&フレッド・アステア主演のミュージカル「バンド・ワゴン」。1953年にMGMで、同じフレッド・アステア主演で映画化されたことは皆様もよくご存知のはず。ここでは、その4年前にひっそり映画化された、もうひとつの「バンド・ワゴン」を紹介します。
20世紀フォックスが作った「Dancing in the Dark」(1949)がそれで、主演は1930年代のスター、ウィリアム・パウエル。すっかり落ちぶれた映画スターが再起を図るというストーリー。W.パウエルが新人女優のメイクをサッと直してあげるシーンや、全盛期の写真を飾っているあたりが、今年話題の「アーティスト」とそっくりなのは気のせいでしょうか。
さてこの「Dancing〜」に魅力がない理由は、まず、歌曲の弱さです。「By Myself」「That's Entertainment」などMGMが加えた曲がここでは存在しないのです。しかもミュージカル・ナンバーの構成がヘタで、映画が始まって30分後に登場する曲“Something to Remember You By”は、MGM版ではBGMとして使用した地味な曲。また、50分あたりで登場する“New Sun in the Sky”は、盛り上がらない感じのバラード。そろそろ終わりかという頃、84分あたりでやっと、ショー・ナンバー“Dancing in the Dark”“I Love Louisa”を、主演女優ベッツィ・ドレイクと男性ダンサーの軽いタップで見せます。
これらのナンバーはどれもMGM版の華やかさとは逆で、とにかく地味です。かろうじて歌って踊れるのが、当時のハリウッド女優の中ではあまり目立たないベッツィ・ドレイクだけというのも、失敗の理由の一つです。とても楽しみにしていたミュージカルだったので、がっかりしました。
その3
早すぎた傑作「Hellzapoppin」
「Dancing in the Dark」(1949)がブロード・ウエイ・ミュージカルの映画化の失敗作とすると、1939年にブロード・ウエイで上演され、1941年にユニヴァーサルで映画化された「Hellzapoppin」は、早すぎた傑作と言えます。
1980年代、ジョン・ランディス監督や主演のジョン・ベルーシが「アニマル・ハウス」「ブルース・ブラザーズ」「1941」などでやらかしたドタバタを、まだまだ保守的な時代であった1941年にやってしまったことで、今ではすっかり封印されてしまった感があります。つまり、当時の観客に喜ばれる作りでないのだと、私は思います。
今ではそれほど奇抜は手法ではないのでしょうが、例えば、映画の中の役者が観客に語りかけたり、フィルムを巻き戻してやり直したり、自分が写っていないからとカメラの位置の方を直したり。こうしたことから始まって、熊や犬はしゃべり出すわ、出演者が突然透明人間に変身するわで、もう、ものすごい数のギャグの連続です。私の文章力では、みなさまにその「ぶっ飛び感」をお伝えできず残念です。
この映画を観る限り、オリジナルのブロード・ウエイ作品がどのような作品であったかは、全く想像できません。フィナーレにとりあえず、ステージで行われたであろう大掛かりなコンガのダンス・シーンがありますが・・・。フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャース主演の名作「カッスル夫妻」(1939)のH.C.ポッターが監督というのも、全く信じがたい・・・。かつてのマルクス兄弟の映画のように、カルト映画として誰かが取り上げてくれれば嬉しいのですが。
天野 俊哉
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