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Vol.298 生誕100年 〜にっかつ映画会社〜
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アメリカではユニヴァーサル映画が今年100周年を迎えますが、日本でも日活映画が100周年とのこと。日活に関しては情報も多いので、詳しくは触れませんが、今から20年前「日活80周年記念」として製作され、私たちが出演した映画「落陽」(1992)(写真@)について書きたいと思います。これまでにもY's NEWS(新聞)などにエピソードを載せてきましたが今回はその総集編です。
「落陽」は主演がダイアン・レイン、加藤雅也、ユン・ピョウ、そして集められるだけのスターを集めた大作でした。「映画でタップを」という誘い文句にのって、当時、私たちが所属していたダンス・スタジオから、佐藤昇、阿部久志、向井雅之、土井勇(舞台の役者さん)そして私の5人が参加。振付は佐々木隆子先生で、私たちは“DigaDiga Doo”を1か月間猛稽古して乗り込みました。
忘れもしない1990年9月下旬、調布のにっかつスタジオで、まずは衣裳合わせと軽いメイクの後、私たちが出演する「1930年代の上海のナイトクラブ」のセットへ移動しました。映画のオープニング・シーンで使われる、その広大なセットにいるのは私たち5人だけ。するとそこに、主演女優のダイアン・レインがスーッと現れたのです。それもひとりで・・・私はこの世のものとは思えぬその美しさと、背の高さに圧倒されていました。その瞬間、まさにその瞬間、佐藤、向井両氏がポケットから何やら取り出し、ダイアン・レインに向かって走り出したのです。
当時、芸能人の方と仕事をすることの多かった隆子先生から「絶対にサインなどはもらってはいけません!!」と厳しい禁止令が出ていたのに、何と二人は吸い寄せられるように近づいて行ってしまいました。ダイアンはそんな両氏の差し出すサイン帳に、ニッコリしながらサインをしておりました。なかなか、ほほえましい光景でした。
また、こんな思い出もあります。マイクの前で“Basin Street Blues”を歌うダイアン(写真A)の撮影を、ボーッと眺めていた私たちの前を「スターにしきの」あきら氏(写真B)が通りかかり、私たちを一目見るなり、信じられないといった表情で「これ衣裳?」と聞きました。「はい、タップダンサー役です」と私。するとスター氏は、もう少し見栄えのするジャケット、ボウシそして白いハンカチーフを5人分持って来るよう、付き人に実に手際よく指示して下さったのです。私たちのような役の者まで気遣って下さるなんて、さすがスターだなあと深く感謝しました。
とても楽しみにしていた撮影ですが、監督さんの権限が弱いらしく、私たちのダンス・シーンでは、振付の隆子先生以外に指示を出してくる人が3人も4人もいて、誰の言うことを聞けば良いのか混乱してしまいました(写真CDEFG)。
タップシーン撮影後、映画会社が倒産しそうだとか、撮影中断とか悪いニュースが続出するなか、翌1991年春、今度はタップの音を録音するため、再び調布のスタジオへ。ダビング・ルームのスクリーンに映し出された映像に合わせて、ステップの音を録音するのですが、撮影の時同様、例のスタッフたちが、なんだ、かんだケチをつけてくるので、とても苦労しました。
録音の後さらに1年半たって、1991年9月ついに、ひっそりと劇場公開される運びとなりました。正直、ひどい映画だとは思いましたが、冒頭でほんの少し映る5人のダンスシーンと、最後に大きなスクリーンに映し出される自分の名前(写真H)を観たくて、何度も劇場に足を運びました。現在では「底抜け超大作」とか呼ばれ、カルト映画扱いされているそうです。
今でも、カメラの横で心配そうに私たちを見つめていた隆子先生の姿を忘れることができません。
天野 俊哉
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