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Vol.265 「CRAZY FOR YOU」
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ジョージ・ガーシュインが世に出たのは、彼の作曲した「スワニー」を伝説の大スター、アル・ジョルスンに気に入られたことと言われています。その後「ラプソディ・イン・ブルー」「ポギーとベス」などの発表で世界を代表する作曲家になったのですが、今では彼の曲が流れていない日はありませんね。
ガーシュインが32歳の1930年10月14日に開幕したのが「ガール・クレイジー」です。このミュージカルに Shall We Dance? 、Slap That Bass、そして僕の好きな They Can't Take That Away From Me など18曲が加えられて、よりハッピーに楽しく生まれかわったのが「クレイジー・フォー・ユー」です。と、言ってもこのミュージカルが開幕したのは1992年2月19日ですから「ガール・クレイジー」から60年以上経っています。1980年代からこの時期までブロードウェイはイギリス勢のミュージカルに圧倒されていましたので、米国ショービジネス界は“アメリカンミュージカルの典型が出現”と大喝采で迎えたのです。誰もが惹かれるジョージ・ガーシュインのメロディに、兄のアイラがウイットに富んだ詞を書いていますから最強でした。そこに「コンタクト」「プロデューサーズ」を振り付けたスーザン・ストローマンが参加したのです。舞台は1991年に最長上演記録を作り、惜しまれて閉幕した「コーラスライン」と同じ劇場のシュバートシアターでした(残念ながらジョージ・ガーシュインは脳腫瘍で満38歳9ヶ月の若さで既に亡くなっています。米音楽界の悲劇でした。アイラは落ち込んで2年間も引き籠もったのです)。
「クレイジー・フォー・ユー」は裕福でダンスが大好きなボビー・チャイルドが美しくて逞しいポリー・ベーカーに魅せられる、歌とダンスが楽しいミュージカルです。この舞台の時代背景が世界恐慌の中であったからこその華やかさではないでしょうか。ニューヨーク街のネオンは実際あったものを配置したようです。暗い時代でもブロードウェイは活き活きとしていたんですね。とは言っても劇中のベラ・ザングラーが自身の劇場を取られる話が出てきますが、彼のモデルとなったミュージカル・レビュー「ジーグフェルド・フォーリーズ」の大プロデューサー、フローレンツ・ジーグフェルド本人もこの時代の波にのまれた一人です。
このミュージカルがブロードウェイで閉幕してから随分経ちましたが、日本では劇団四季が繰り返し公演しています。私が楽しみにしているミュージカルの一つで、公演の度に1〜2度は観ています。やはり、日生劇場の初演が一番楽しくゴージャスに感じました。出演者全員の「踊るのが本当に楽しい」という気持ちが伝わり、ウキウキしました。ボビーを加藤敬二さん、ポリーを保坂知寿さんが演じたのですが大変魅力的でした。荒川務さん、山崎佳美さんも素晴らしかったです。四季には優れた俳優陣がいるんですね。
ただ、これだけ感動したのは劇場の雰囲気も手伝っていたと思います。「クレイジー・フォー・ユー」はコメディーですが夢や豪華絢爛さも観せています。こんなことを言う四季の客はいないでしょうが、現在の四季劇場は劇場設備はもろ出しで貧弱だと思います。劇団四季の浅利慶太代表は以前から「素敵な劇場を造るのが夢だ」と話されていますが、その後造られた劇場はどれも席回りは狭く、2階から上の勾配にはびっくりです。
勿論、そうであってもガーシュインの名曲とタップの音が満載の「クレイジー・フォー・ユー」には、これからも足を運んでしまうことでしょう。
小島 文雄
写真 上から
ジョージ・ガーシュイン(1898−1937)
ガーシュイン兄弟 右は兄アイラ(1896−1983)
スーザン・ストローマン(1954− )
劇団四季の初演(1993)
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