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Vol.2288 俳優で殺陣師の勝村淳さん追悼(そのA)
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大映映画の専属俳優で殺陣師の勝村淳さんが87歳で亡くなられました。
ブルース・リー主演『ドラゴン怒りの鉄拳』の撮影の為に香港に向かった《ブルース・リーに蹴られた男》こと橋本力さんと《ブルース・リーを投げ飛ばした男》こと勝村淳さん、上海の中国人道場イジメを繰り返す悪徳日本人道場の鈴木館長役とそのボディガード役を憎々しく演じました。
とりあえず台詞のある橋本さんに対して睨みを利かせているだけの勝村さん、役者として格が違うのかも知れません。
それでもせっかく香港まで来たのだから、と勝村さんが本気を出した場面が日本初公開の時にカットされていたお座敷ストリップ場面。鈴木館長がロシアのボクサー役のボブ・ベイカーを接待する結構長い場面、画面端に座る勝村さんのアドリブでのアクションが目を引きます。
隣の日本人芸者に笑いかけたりオーバーな動きが目に付きます。笑える!
実際はこんな陽気な方だったのかな。
そして映画のクライマックス、ブルース・リーが一人日本人道場に乗り込んで先ずは勝村さんと下っ端と日本庭園で闘うスリリングな場面。気合いをいれた勝村さん、確かにブルース・リーを投げ飛ばした!凄いね。しかし地面に倒れたブルース・リーに2打目を与えられず!再び向かってゆくもブルース・リーのパンチが勝村さんの急所を直撃、勝村さん苦しそうに倒れてしまいます。
うん、本当に痛そうでした!
この後、蝶ネクタイ姿のボブ・ベイカーがブルース・リーに殴られ蹴られつづく間、死体になられた勝村さんがずっと同じ姿勢で倒れたまま(写真最下段の左と真ん中で体の向きがビミョーに変わっているのはご愛敬)。
最後の橋本さんが日本刀、ブルース・リーがヌンチャクでやり合うアクションは勝村さんが橋本さんの殺陣を担当されたとか。このクライマックス場面の撮影は丸二日間かかったそうです。ブルース・リーと闘う方が勝新太郎さんと闘うよりも安全だった、とは橋本さん。
『ドラゴン怒りの鉄拳』が日本でロードショー公開されたのがブルース・リーの一周忌にあたる1974年7月20日でした。もう半世紀も前になるのですね。
勝村淳さんの語るブルース・リーの話が聞いてみたかったです。勝村淳さんのご冥福をお祈り致します。
《勝村淳&橋本力 上下関係トリビア》
・勝村淳が大映京都撮影所に入所して勝新太郎に師事したのが1957年(昭和32年)、橋本力のデビューが1959年(昭和34年)なので、映画界では勝村の方がちょっとだけ先輩である
・勝村(本名:有村淳=ありむらすなお)は勝の一番弟子ということで“勝”の一文字をもらった。勝村は橋本より四歳年下だが、そういう意味でも1971年(昭和46年)に勝プロに移籍してきた橋本よりも先輩格と言える
天野 俊哉
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