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Vol.2279 アラン・ドロンさん追悼
 フランス映画の大スターで日本の女性映画ファンにモテモテだったアラン・ドロンさんが亡くなりました。つい最近、家族との不和がマスコミに報道されたばかり、精神的に参ってしまったのかも知れません。あんなにハンサムでも最期は不幸なのですね。

 アランは私の亡くなった母と同じ1935年生まれ、もちろん2枚目好きの母のお気に入りの1人でした。小学生の頃観たくも無いのにアランがたくさんの女性に追い回されるだけの映画『お嬢さんお手やわらかに!』に付き合わされ、続いて『太陽がいっぱい』を見せられました。
 13歳で映画ファンになり毎月買い続けた映画雑誌の『スクリーン』と『ロードショー』の表紙は圧倒的にアラン、読者による人気投票の男優トップもアラン、人気ナンバーワンの座は1974年のブルース・リーのブーム到来まで不滅でした。
 テレビでは紳士服のダーバンのコマーシャルが毎日の様に流れ、バカな同級生がアランの真似をして適当なフランス語を喋ってましたっけ。
 私はハリウッド映画のファンだったことから当時アランが主演した『フリック・ストーリー』も『アラン・ドロンのゾロ』も全く観ておりません。
 ただの食わず嫌いでしたのですね。

 2000年代の後半、映画ソフトがDVD主流になってきた頃に秋葉原の電気店に山のように中古ビデオが売られ始めました。アランをはじめジャン・ポール・ベルモンド、ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチュラ、ジャン・ルイ・トランティニアン、カトリーヌ・ドヌーヴ、ロミー・シュナイダーらフランス映画の大スター達の作品が200円位でなげうりされてたのです。デパートの大きな袋を持って毎日毎日買いあさり40代後半でまさかのフランス映画デビューをしました。

 そして、目の前にビデオを積み上げて順番に鑑賞し始めた最初がアメリカ映画の大スター、チャールズ・ブロンソンとアランが主演した1968年の『さらば友よ』でした。この作品だけで私の中の《フランスの甘ったるい2枚目俳優》のイメージが一変に崩れてしまいました。さらにアランはジャン・ギャバンをはじめとする自分よりも格上の大スターと次々競演するという一流のプロデュース力を持っていたのです。ジャン・ピエール・メルヴィル監督らの名手をセレクトしたのもお見事!

 あれだけハンサムでありながら女優よりも男優と競演した時の方がより魅力的だったアラン、ロミー・シュナイダーとの悲恋やナタリー・ドロンとの離婚騒動を見る限り意外にも女運は悪かったのかも知れませんね。
 アラン・ドロンさんのご冥福をお祈り致します。

天野 俊哉



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