TAP DANCE LOGO
INSTRUCTORS
STUDIO : 戸塚スタジオ
NETWORK
SCHEDULE
EVENTS
COLUMNS
DANCE TEAMS
LINKS
OUR MASTER : 佐々木 隆子
COLUMNS

Vol.2226 作家シドニー・シェルダンは『イースター・パレード』の脚本家だった!
 今日の日本で「シドニー・シェルダン」と聞いて「あっ、ベストセラー作家の?」と答えられる人はまだまだ多いはずです。バブル期の日本で『真夜中は別の顔』『ゲームの達人』『明日があるなら』等その著書は常にベストセラー小説として話題に上っていました。シドニーは1917年生まれですので作家として有名になったのは50代後半と遅く、89歳で亡くなるまで現役で活躍しました。

 昨年、シドニーが晩年の2005年に書いた自叙伝を秋葉原の書店で見つけ直ぐに購入しました。ちなみに私はシドニー・シェルダンのベストセラー作品には全く興味が無く、当然本を読んだ事もありません。とんでもない奴ですね!
 このシドニーの90年近い生涯を抑えた自叙伝の面白いところは先のベストセラー作家になってからについて書かれているのは最後の10ページ未満であることです。ではそれまでって?

 戦後1945年頃から1969年辺りまでの彼の仕事、シドニー・シェルダンはハリウッドで脚本を書いていたのです!
 30歳で脚本家デビューした彼はケイリー・グラント、マーナ・ロイ、シャーリー・テンプル主演の『独身者と女学生』でアカデミー脚本賞を受賞してしまいます。一躍名前を知られた彼はハリウッド映画最大のスタジオMGMに連れて行かれMGMのプロデューサーのアーサー・フリードからミュージカル映画の脚本を任されます。それがジュディ・ガーランドとフレッド・アステア主演の名作『イースター・パレード』でした。この作品で名曲ばかりを創り出したアーヴィング・バーリンが音楽家のくせにひどい音痴で困った!というのが可笑しい。また、ブロードウェイの俳優だったジュールス・マンシンにレストランの場面でユニークなパントマイムを与えるエピソードも楽しい。

 続いてフレット・アステアとジンジャー・ロジャースの踊る名コンビ主演の『ブロードウェイのバークレー夫妻』、ブロードウェイ・ミュージカルの名作をベティ・ハットン主演で映画化した『アニーよ銃をとれ』、チャーミングなMGM映画の歌姫ジェーン・パウエル主演の『ナンシー・ゴーズ・トゥ・リオ』と『リッチ・ヤング・アンド・プリティ』等のクレジットをシドニーは脚本家として飾りました。
 後に私の大好きな喜劇王バスター・キートンの伝記映画『バスター・キートン物語』の監督を務めたり、テレビの世界に移り『奥様は魔女』に対抗する為に製作されたライバル番組『かわいい魔女ジニー』の脚本を長年務めました。

 この本に登場するのはミュージカル映画やコメディ映画の大スターばかり、作品もスタッフもホント物凄い顔ぶれで圧倒されてしまいます。ただ、最初の結婚があっという間に破綻とか失敗談も多いとは言え、余りにもシドニーのキャリアが凄すぎ、素晴らしすぎて、素直に読めないのは皮肉な事です。あり得ないことですが、もし第三者が《シドニー・シェルダンの評伝》としてシドニー・シェルダンを扱っていたら私たち読者はもう少しシドニー・シェルダンの人生に親近感を得られたのかも知れません。とは言いつつシドニーには常に死と隣り合わせの持病があったとは驚きです。

 自叙伝の最後の最後に「ハリウッド映画界で1番低い地位にあるのが脚本家」という言葉が出て来ますが、ハリウッド映画界で最も成功したシドニーでもそう感じていたのですね。シドニーとは逆に小説家やベストセラー作家からハリウッド映画界に招かれて不幸な人生を送る事になったF・スコット・フィッツジェラルドら5人の脚本家の評伝『ときにはハリウッドの陽を浴びて』が読み物としてはシドニーの数倍面白いかも知れません。

天野 俊哉



Copyright 2005 Y's Tap Dance Party. All rights reserved.