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Vol.2220 生誕100年のMGM映画会社と『ザッツ・エンタテインメント』
 ハリウッド映画黄金期最大のMGM映画会社が1924年に設立され今年で記念すべき100年を迎えます。
 このコラムではその歴史等は省略いたしますが、映画の最初にガオーとライオンが吼えるトレード・マークとミュージカル映画の名作をたくさん製作した事だけでもMGM映画の豪華さ、偉大さが分かると思います。

 1973年にチャールズ・チャップリンと並ぶサイレント・コメディの王様、バスター・キートンの映画が日本の映画館で続々と再上映されたのがきっかけで私も映画ファンになりました。そのキートンがMGMの専属俳優だったので私は12歳にしてMGM映画の存在を認識しました。

 1974年の春、ジョニー・ワイズミュラー主演『ターザンの猛襲』のリバイバル上映を最後にMGM日本支社が閉鎖になりました。皮肉だったのは、その日本支社閉鎖のニュースと共に本国アメリカではMGM映画50周年記念映画が大ヒットしたニュースも映画雑誌《キネマ旬報》に掲載された事でした。『これが娯楽だ』と直訳されていたのがまさに『ザッツ・エンタテインメント』でした。
 MGMが誇るフレッド・アステア、エレノア・パウエル、ジュディ・ガーランド、ジーン・ケリー、フランク・シナトラら華やかなスターが歌い踊る夢の様なミュージカル映画は1930年代から50年代にかけてMGM映画、アメリカ映画界の財産として記憶されています。

 さて、当時の映画雑誌には
「MGMが誇るミュージカル映画のアンソロジーで大変素晴らしいらしい」
「しかし、MGMの日本支社は既にこの春閉鎖されており、上映される可能性は極めて低い」
などとありました。
 日本ではミュージカル映画やアンソロジー映画は絶対ヒットしない時代でしたので映画雑誌には「ほぼ絶望的」扱いでした。
 しかし、ニューヨークの映画館で『ザッツ・エンタテインメント』をご覧になった映画評論家の淀川長治氏、当時は特派員だった原田眞人氏、コラムニストの小林信彦氏らがラジオや雑誌でその素晴らしさを我々日本の映画ファンに熱くアピールすることで《ザッツ人気》に火が付きました!
 結局、松竹・富士映画というMGMとは何の関係もない映画会社が配給することになり、1974年暮れにサウンドトラック・レコードが発売されました。
 日本では1975年春に松竹系の大きな映画館でロードショー公開され大ヒットを記録しました。

 日本でエンタテインメントという言葉が知れわたったのも、タップダンスの存在を知らしめ、タップダンス人口を増やしたのもすべてはこの1975年日本公開の『ザッツ・エンタテインメント』でした。
 その後50年に渡ってMGMのミュージカル映画は全世界のショービジネスに大きな影響を与えるきっかけになりました。

天野 俊哉



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