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Vol.2070 もうすぐ生誕100年ポール・ニューマン(番外篇)〜もう一つの顔
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ポール・ニューマンには、モータースポーツファンにとってハリウッドスター以外のもう一つの顔があります。それは前のコラムでも触れられていたとおり、カーレースに夢中の、レーサーとしての顔です。
『明日に向って撃て!』が世界的大ヒットを記録し、トップスターとしての地位を不動のものにしたポールは、更に製作者としての飛躍をも求めて、黒人俳優の地位向上に貢献した名優で盟友のシドニー・ポワチエと、女優としてはもちろんアーチストとしても超一流のバーブラ・ストライサンドと共に映画製作会社「ファースト・アーティスツ」を設立します。設立後初めて製作を担当した映画が「カーレース映画の先駆的作品」と言われている『レーサー』(1969 原題:Winning)です。ポールはこの映画のためにプロドライバー、ボブ・シャープからレースの手ほどきを受けたことをきっかけにカーレースに熱中するようになり、一流レーサーの大半が30代半ばで引退する中、44歳にしてレーサーとしてプロデビューを果たします。
1975年にはレーシングチームを結成し、1977年のデイトナ24時間レースで第5位、そして1979年のル・マン24時間レースでは、52歳にして準優勝を果たしてしまいます。運動神経抜群のポールはレーサーとしても華やかな成功を収めました。
さて、日本のクルマ好きにとって忘れられないのが、1981年(昭和56年)に登場した6代目スカイライン(R30型)のイメージキャラクターにポールが起用されたことです。
昔も今もアメリカのショービズ界は、映画/TV/舞台/CM/広告と、それぞれのカテゴリごとに活躍する俳優がはっきり住み分けされていて、有名だから人気者だからといって、日本みたいに映画でも舞台でもなんにでも引っ張りダコになることは基本的には無いそうです。現在ならいざ知らず、「ハリウッドスターがCMに出演するなんて品格が下がるだけ」と言われた40年以上前に、しかも日米貿易摩擦の真っ只中で槍玉に挙げられていた日本車のCMにナゼ、ポールが出演したのか?理由の一つは、レースの師が率いるボブ・シャープ・レーシングチームで、ポールがDATSUN-Z(日本車の日産フェアレディZ)を駆ってレース活動をしていたことがきっかけです。コレに目を付けた日産が「新型スカイラインのイメージキャラクターに是非!」と巨額の契約金を提示しました。マネーメイキング1位の世界的トップスターであるポールが巨額に釣られた訳でもないでしょうから、日産車でレースに参戦して日産との関係が深いボブ・シャープの顔を立てたんでしょう。きっと。
もう一つの理由は、スカイラインが日本国内専用モデルのためアメリアでは販売されておらずCMがオンエアされないから。もしコレがポールがレースで乗っていた、アメリカで大人気のZ-Car(ズィーカー=DATSUN-Zの愛称)やアメリカで販売されている車種のCMだったら、先述のショービズ界の決まりごとやハリウッドスターとしての品格の問題もあって出演は断っていたでしょう。多分。
かくして当時はこれでもか!っていうくらい新型スカイラインのCMがガンガン流れました。BGMはもちろん“雨にぬれても”。しまいには彼のサインがそこかしこに施されたポール・ニューマン・バージョンなる特別仕様車まで販売された6代目は“ニューマン・スカイライン”の愛称で呼ばれて、40年以上経った現在でも旧車好きの間で高い人気を誇っています。
レーサーとしてのポールのご紹介でした。
脇道に逸れてスミマセン、本筋の最終回につづく!
Y's取材班
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