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Vol.2065 ジーナ・ロロブリジダさん追悼〜イタリアを代表する女優さん
 戦後のイタリアを代表する女優のジーナ・ロロブリジダさんが亡くなりました。

 日本と同じ敗戦国イタリアの映画界は戦争が終わるとまずネオ・リアリズムというルキノ・ヴィスコンティやロベルト・ロッセリーニら監督主導の時代がきます。私も『戦火のかなた』『無防備都市』『自転車泥棒』等の作品を観ましたが戦争を引きずった暗い物ばかりでした。しばらくしてプロデューサー達はイタリア映画にも華やかさやエロスが必要と感じたようで、我らがジーナさんは《ミス・イタリア・コンテスト》から映画スターになりました(2番目の写真 右から2番目がジーナ)。

 残念ながら私はジーナさんの初期のイタリア映画を知らず、フランス映画の名優ジェラール・フィリップと共演したキャリアも全く知りませんでした。ジーナさんは1954年ハンフリー・ボガートが自身のサンタナ・プロダクションで製作した『悪魔をやっつけろ』でハリウッド映画デビューしました。この作品ではジーナさんのグラマラスな魅力はさほど強調されず、名優ハンフリー・ボガートやジェニファー・ジョーンズらとバランスが取れた上手い芝居をみせていました。

 現在YouTube等でジーナさんを検索すると『ノートルダムのせむし男』『ソロモンとシバの女王』『戦雲』等のエキゾチックで肉体美を観客にアピールしまくる映像ばかりが出て来ますが、実はしっかりとした演技で名優達とでも渡りあえる実力の持ち主でした。中でもバート・ランカスター、トニー・カーティスと主演した『空中ぶらんこ』は、半世紀も前にテレビで観たきりですがとても見応えのあるドラマとして今でも記憶しております。

 1960年代以降ジーナさんに来るのはグラマラスな役柄ばかりでした。後輩のソフィア・ローレンやクラウディア・カルディナーレの様に良いプロデューサーや映画監督との出会いが無く、ジーナさん向きの企画が来なかったのはジーナさんのキャリアにとって大きなマイナスでした。私が映画を見始めた1970年代になるとジーナさんは女優業よりもフォト・グラファーとして活躍していました。でも、それも人生ですよね。

 私の亡くなった父は私よりもジーナさんと近い間柄でした。父は足立区の梅島という町にあるスナックによく通っていたのですが、そこのママがとてもエキゾチックな風貌だったのでお客さんからはジーナと呼ばれてました。幸せそうにジーナママの話をする父が懐かしいです。

 ジーナ・ロロブリジダさんのご冥福をお祈りいたします。

天野 俊哉



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