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Vol.2062 もうすぐ生誕100年パトリシア・ニール〜人生に振りまわされた映画女優
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1926年1月20日生まれのハリウッド映画女優パトリシア・ニール。
《ブロードウェイからハリウッドへ》
ニューヨークの名門アクターズ・スタジオで演技を学び、ジェーン・フォンダ主演の名作『ジュリア』で知られる女流作家リリアン・ヘルマンに可愛がられブロードウェイで華々しくデビューして一躍花形女優に。ハリウッドのワーナー・ブラザーズ映画が《第2のベティ・デイビス》として売り出すべくパトリシアと専属契約しました。デビュー作は後にアメリカ合衆国大統領となった大根俳優のロナルド・レーガンとの『恋の乱戦』。
《『摩天楼』でゲイリー・クーパーと》
1949年、ハリウッド映画を代表する大スター、ゲイリー・クーパーの為に企画されたベストセラー小説の映画化『摩天楼』のヒロイン役に当時ワーナー映画と契約していた大物女優のジョーン・クロフォード、バーブラ・スタンウィックらを蹴落としてパトリシアが選ばれました。私が最初にこの作品を観たのは16歳の時、哲学的と言われたロシアの女流作家アイン・ランドの原作は難しく理解できず、主演のゲイリー・クーパーとパトリシアの強烈なラブ・シーンと巨大ビルのエレベーターが最上階まで登りつめるラストシーンに圧倒されただけでした。
真夜中にテレビで『摩天楼』を観ていた私のもとにやって来た父親がたった一言「この2人は本当に付き合っていたんだよ!」
《作品に恵まれず》
『摩天楼』はヒットせずパトリシアは早くも女優として挫折してしまいます。
その後、リチャード・トッドとの『命ある限り』、ジョン・ガーフィールドとの『破局』、ジョン・ウェインとの『太平洋機動作戦』、タイロン・パワーとの『国務省の密使』、再びゲイリークーパーと組んだ『ブライト・リーフ』など、どの作品もパトリシア見たさにチャンネルを回しましたがパトリシアはあくまで添え物として出演している程度でした。唯一、マイケル・レニーと主演したSF映画『地球の静止する日』は今日までカルト的な存在で知られており、パトリシアの代表作として語られています。戦後のワーナー映画では女優を育てる余裕など無く、パトリシアのブロードウェイ出身のキャリアがマイナスにしか作用しませんでした。失意の中映画界を引退してブロードウェイに戻ります。
《再出発してアカデミー主演女優賞を》
『摩天楼』で共演したゲイリー・クーパーとの大恋愛を経て作家ロアルド・ダールとの結婚。幸福と不幸の人生の中で再びハリウッド映画に復帰したのが1950年代後半の事。オードリー・ヘップバーン主演の『ティファニーで朝食を』など相変わらず無駄な役ばかりのパトリシアでしたが、ポール・ニューマン主演の『ハッド』では当時ボロボロの人生を送っていたパトリシアにはぴったりすぎる家政婦役を自然体で演じ作品に強いインパクトを残し、アカデミー賞主演女優賞を受賞してしまいます。
《全ては自叙伝「真実」に》
パトリシア・ニールは生前「真実」という自叙伝を遺しました。ブロードウェイの舞台よりも、ハリウッド映画よりもドラマチックであり1人の女性が生きた人生としては壮絶すぎました。
興味のある方はぜひご一読くださいね。
今回はパトリシア・ニールを取り上げました。
天野 俊哉
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