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Vol.2000 もうすぐ生誕100年ドナルド・オコナー(その2)〜歌って踊れるキートン
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《ザッツ・エンタテインメントとは?》
MGM映画創立50周年を記念して製作された『ザッツ・エンタテインメント』(1974)は1929年から1958年までにMGMで作られたミュージカル映画の名場面を集めたいわゆるアンソロジー映画でした。それらの映画に関わった11名のスターが登場して懐かしさを語るのですが、面白いのはすっかり体型が変わってしまった往年の大スター達を荒れ果てた撮影所の一角で普通に語らせるという気取らない演出でした。11名のうち
フレッド・アステア
ジーン・ケリー
ミッキー・ルーニー
ジェームズ・スチュアート
フランク・シナトラ
エリザベス・テイラー
ピーター・ローフォード
デビー・レイノルズ
はMGM映画の専属だった人ですが、ビング・クロスビーはパラマウント映画の専属だった人でMGMでは2作品、ドナルドさんはユニヴァーサル映画の専属だったのでこちらもMGMでは2作品しか出演しておらず正に別格の扱いでした。そして、ライザ・ミネリはMGMが誇るジュディガーランドの娘としての出演でした。
《歌って踊れるバスター・キートン》
体全体がふっくらした当時まだ48歳のドナルドさんは撮影所のプールサイドに何となく登場、このプールを拠点に活躍した《水着の女王》ことエスター・ウィリアムズの水中レヴュー映画を紹介します。そしてドナルドさん自身の名場面は『雨に唄えば』(1952)から“メイク・エム・ラーフ”というソロ・ナンバー。前年、テレビ東京で放映された『雨に唄えば』ではカットされていた場面でした。
映画の撮影所で忙しく働くスタッフの間を縦横無尽に歌いながら動き回るドナルドさん、小道具の人形や滑るフロアを相手に悪戦苦闘、さらにはセットの壁めがけて凄いアクロバットを見せたのち書き割りの壁に飛び込み撃沈。ドナルドさんの場合、これはダンスでなくアクションですね。ドナルドさんは『雨に唄えば』の打ち合わせでジーン・ケリーのアシスタントだったキャロル・へニーとジーン・コインの前で“メイク・エム・ラーフ”の振付の為に彼が持っている沢山のダンスのルーティンやギャグやアクションを全て披露しました。そしてジーン・ケリーの代わりにキャロル達がセレクトして振付を構成したそうです。完成したナンバーはダンスではなくコメディであり、最盛期のバスター・キートンが映画で見せたスピーディーなアクションに匹敵するレベルのものでした。当時ユニヴァーサルの低予算ミュージカル映画のスターだったドナルドさんは『雨に唄えば』出演でアメリカのショービジネスでの地位を不動のものにしたそうです。なるほどドナルドさんが後年バスター・キートンの伝記映画の主役に選ばれた理由がこの時初めて分かりました。
《後が続かない!》
『ザッツ・エンタテインメント』が日本でロードショー公開されたのが1975年3月21日。残念ながら当時の日本では『雨に唄えば』の完全版を含めてミュージカル映画を観るチャンスはほとんどありませんでした。そんな中、レコード会社がMGMミュージカル映画のサントラ盤を発売したり、渋谷にある輸入レコード店のすみやがサントラ盤を販売したり少しずつMGMミュージカルを知るチャンスが巡ってきました。私はレコード購入でドナルドさんがMGMで主演した『雨に唄えば』ともうひとつ『アイ・ラブ・メルヴィン』でドナルドさんの歌声に出会えました。『ザッツ・エンタテインメント』の第2弾が1976年の春に公開され『雨に唄えば』でドナルドさんがジーン・ケリー、デビー・レイノルズと3人で歌い踊る“グッド・モーニング”のナンバーを観る事が出来ましたが、いつになっても私には新しいドナルドさんを観るチャンスが巡ってきませんでした。
つづく
天野 俊哉
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